・・・掲示は通行の妨害になるから橋の上で釣をすることを禁ずるというのである。しかしわたくしは橋の欄干に身を倚せ、見えぬながらも水の流れを見ようとした時、風というよりも頬に触れる空気の動揺と、磯臭い匂と、また前方には一点の燈影も見えない事、それらに・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・の文明についてはすべて不案内なるこの人民に向い、高尚なる学校教場の知見を丸出しにして実地の用に適せしめんとするも、浮世のように行わるべからざるは明白なる時勢とも心付かずして、我が国人は教育の熱心自から禁ずること能わず、次第次第に高きを勉めて・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・而してその本部の人民にははなはだしき酒客を見ざれども、酒に乏しき北部の人が、南部に遊び、またこれに移住するときは、葡萄の美酒に惑溺して自からこれを禁ずるを知らず、ついにその財産生命をもあわせて失う者ありという。 また日本にては、貧家の子・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・家人の病気に手療治などは思いも寄らず、堅く禁ずる所なれども、急病又は怪我などのとき、医者を迎えて其来るまでの間にも頓智あり工風あり、徒に狼狽えて病人の為めに却て災を加うること多し。用心す可き事なり。例えば小児が腹痛すればとて例の妙薬黒焼など・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・とは、余が毎に諸氏に勧告するところにして、毎度の説法、聴くもわずらわしなど思う人もあるべけれども、余が身に経歴したる時勢の変遷を想回えして、近く第二世の事を案ずれば、他人のためならで、自身の情に自から禁ずること能わざるものあれば、これを諸氏・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・すなわち氏はかつて徳川家の食を食む者にして、不幸にして自分は徳川の事に死するの機会を失うたれども、他人のこれに死するものあるを見れば慷慨惆悵自から禁ずる能わず、欽慕の余り遂に右の文字をも石に刻したることならん。 すでに他人の忠勇を嘉みす・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・殊にこの紀行を見ると毎日西瓜何銭という記事があるのを見てこの記者の西瓜好きなるに驚いたというよりもむしろ西瓜好きなる余自身は三尺の垂涎を禁ずる事が出来なかった。毎日西瓜の切売を食うような楽みは行脚的旅行の一大利得である。 夏時の旅行は余・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・多くの宗教で肉食を禁ずることが大切の儀式にはつきものになっているのでもわかりましょう。戦争どこじゃない菜食はあなた方にも永遠の平和を齎してせっかく避暑に来ていながら自働車まで雇って変な宣伝をやったり大祭へ踏み込んで来ていやな事を云って婦人た・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・予は一片誠実の心を以て学問に従事し、官事に鞅掌して居ながら、その好意と悪意とを問わず、人の我真面目を認めてくれないのを見るごとに、独り自ら悲しむことを禁ずることを得なかったのである。それ故に予は次第に名を避くるということを勉めるようになった・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・私はT氏に対して済まないという思いを禁ずることができない。 わずかに三四度逢ったT氏に対してさえそうである。まして彼らの場合は。――何といってもIやKは寂しいだろう。私を失ったためよりも、私の別離が凶兆として響いたために。――こう私は考・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫