・・・という顔付で、店頭の土間に居る稼ぎ人らしい内儀さんの側へ行った。「お内儀さん、今日は何か有りますかネ」 と尋ねて、一寸そこへ来て立った高瀬と一諸に汽車を待つ客の側に腰掛けた。 極く服装に関わない学士も、その日はめずらしく瀟洒なネ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・あたしたちの稼ぎの大半は、おかみに差し上げているんだ。おかみはその金をお前たちにやって、こうして料理屋で飲ませているんだ。馬鹿にするな。女だもの、子供だって出来るさ。いま乳呑児をかかえている女は、どんなにつらい思いをしているか、お前たちには・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・頼んでおいた若い稼ぎ人が来て、道太の陣取っている離れの方から手をつけはじめて、午後には下の部屋へ及んできた。お絹たちは単衣の上っ張りを著て、手拭を姐さん冠りにして働いていた。「さあ京ちゃんところへ行こう」老母はそう言って、孫といっしょに道太・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ブリキ職の女房は亭主の稼ぎが薄いので、煙突掃除だの、エンヤラコに出たりする。それで五人の子持である。お腹がふくれると、口が殖える将来を案じて、出来ることなら流産てしまえば可いがと不養生のありたけをして、板の間にじかに坐ったり、出水の時、股の・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・其家は代々の稼ぎ手で家も屋敷も自分のもので田畑も自分で作るだけはあった。手堅にすれば楽な身上であった。夫婦は老いて子がなかった。彼はそこへ行ってから間もなく娵をとった。其家の財産は太十の縁談を容易に成就させたのであった。二 ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・後では金が足りないので、私立学校も一軒稼ぎました。その上私は神経衰弱に罹りました。最後に下らない創作などを雑誌に載せなければならない仕儀に陥りました。いろいろの事情で、私は私の企てた事業を半途で中止してしまいました。私の著わした文学論はその・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・ 吉里は二十二三にもなろうか、今が稼ぎ盛りの年輩である。美人質ではないが男好きのする丸顔で、しかもどこかに剣が見える。睨まれると凄いような、にッこりされると戦いつきたいような、清しい可愛らしい重縁眼が少し催涙で、一の字眉を癪だというあん・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・その人相を見るに、これは夫婦ぐらしで豆屋を始めて居て夫婦とも非常な稼ぎ手ではあるが、上さんの方がかえって愛嬌が少いので、上さんはいつも豆の熬り役で、亭主の方が紙袋に盛り役を勤めて居る。もっともこの亭主は上さんよりも年は二つ三つ若くて、上さん・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・三つ森山の方へ稼ぎに出るらしく谷地のふちに沿った細い路を大股に行くのでしたがやっぱり土神のことは知っていたと見えて時々気づかわしそうに土神の祠の方を見ていました。けれども木樵には土神の形は見えなかったのです。 土神はそれを見るとよろこん・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・昭和五年に、男が二円二十二銭一厘の実収をもっていた時、女の稼ぎは一日九十三銭であった。本年は、画期的な生産拡大による労働力の需要増と、物価騰貴、熟練工引止めなどの理由から、一般に賃銀は高くなった。もっとも低下していた昭和七年頃に比べると遙か・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
出典:青空文庫