・・・と詠み、雪の頃旅立つ人を送りては、「用心してなだれに逢ふな」と詠めり。楽みては「楽し」と詠み、腹立てては「腹立たし」と詠み、鳥啼けば「鳥啼く」と詠み、螽飛べば「螽飛ぶ」と詠む。これ尋常のことのごとくなれど曙覧以外の歌人には全くなきことなり。・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ みんな急いで着物をぬいで淵の岸に立つと、佐太郎が一郎の顔を見ながら言いました。「ちゃんと一列にならべ。いいか、魚浮いて来たら泳いで行ってとれ。とったくらい与るぞ。いいか。」 小さなこどもらはよろこんで、顔を赤くして押しあったり・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ その心持を誠意のこもった現実の力として表現しようとするとき私たちは、一つの救国運動として故国に対する人民の愛と必要に立つ統一的動きを肯定する以外に、どんな道を見出せるだろうか。雄々しいフランスの婦人たちは、フランスが歴史の波瀾を凌いで・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
市が立つ日であった。近在近郷の百姓は四方からゴーデルヴィルの町へと集まって来た。一歩ごとに体躯を前に傾けて男はのそのそと歩む、その長い脚はかねての遅鈍な、骨の折れる百姓仕事のためにねじれて形をなしていない。それは鋤に寄りかかる癖がある・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・情調は situation の上に成り立つ。しかし indfinissable なものである。木村の関係している雑誌に出ている作品には、どれにも情調がない。木村自己のものにも情調がないようである。」 約めて言えばこれだけである。そして反・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・その紐を引くと、頭の上で蝋燭を立てたように羽が立つ。それを見ては誰だって笑わずにはいられない。この男にこの場所で小さい女中は心安くなって、半日一しょに暮らした。さて午後十一時になっても主人の家には帰らないで、とうとう町なかの公園で夜を明かし・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・六本木の停留所の灯が二人の前へさして来て、その下に塊っている二三の人影の中へ二人は立つと、電車が間もなく坂を昇って来た。 秋風がたって九月ちかくなったころ、高田が梶の所へ来た。栖方の学位論文通過の祝賀会を明日催したいから、梶に是非出・・・ 横光利一 「微笑」
・・・秋の風が立つと、燕や、蝶や、散った花や、落ちた葉と一しょに、そんな生活は吹きまくられてしまう。そして別荘の窓を、外から冬の夜の闇が覗く。人に見棄てられた家と、葉の落ち尽した木立のある、広い庭とへ、沈黙が抜足をして尋ねて来る。その時エルリング・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・それだから向うへ着いて幾日かの間は面倒な事もあろうし、気の立つような事もあろうし、面白くないことだろうと、気苦労に思っている。そのくせ弟の身の上は、心から可哀相でならない。しかしまたしては、「やっぱりそうなった方が、あいつのためには為合せか・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・言い訳が立つからといって、なすべき事をしないのはやはりいい事ではありません。たとえ仕事に全精力を集中する時でも「人」としてふるまうことを忘れてはならない。それができないのは弱いからです。愛が足りないからです。 私は自分の仕事のために愛す・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫