・・・人間はそれぞれの明白な心の目標があって、それに向かわんために充分納得して寒苦と戦っているが、犬はなんのためだか、ちっともわからないで、ただたよる主人の向かう所なら、さもうれしげに死の雪原に突進するのである、犬でもやはり苦しくなくはないであろ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・当初の計画通りを実行してそうして旨く見込に違わない成績をふり返って見て、なるほどと始めて合点して納得の行ったような顔をするのは、いくら綺麗に形だけが纏っていても実際の経験がそれを証拠立ててくれない以上は大いに心細いのであります。つまり外形と・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・それを一通り調べてもまだ足らぬ所があるので、やはり上代から漕ぎ出して、順次に根気よく人文発展の流を下って来ないと、この突如たる勃興の真髄が納得出来ないという意味から、次に上代以後足利氏に至るまでを第一巻として発表されたものと思われる。そうは・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・―― こう思って彼は自分自身を納得させて、再び眠りに入ろうと努めた。 深谷はすぐに帰ってきて、電燈を消した。そしてベッドに入ると、間もなくかすかな鼾さえ立て始めた。 安岡は自分の頭が変になっていることを感じて、眼をつむって、息を・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・剰え、最初は自分の名では出版さえ出来ずに、坪内さんの名を借りて、漸と本屋を納得させるような有様であったから、是れ取りも直さず、利のために坪内さんをして心にもない不正な事を為せるんだ。即ち私が利用するも同然である。のみならず、読者に対してはど・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・そして冬撰鉱へ来ていたこの村の娘のおみちと出来てからとうとうその一本調子で親たちを納得させておみちを貰ってしまった。親たちは鉱山から少し離れてはいたけれどもじぶんの栗の畑もわずかの山林もくっついているいまのところに小屋をたててやった。そして・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・そして、自分たちのただ一度しかない人生を、自分として納得出来るしかたで充実させて行かなければならないと思います。 智慧のよろこびも、肉体の歓喜も奪われた日々の裡で、若さゆえに、一筋の情熱を守って自身の成長を念願してきた女性の心情こそ、明・・・ 宮本百合子 「明日を創る」
・・・政治一般の方針を示さず、検討せず、どうして公務員法案だけは通してよい法案であることが納得されるだろう。政策のはっきりしない政党を支持しようがない、という現実がアメリカの大統領選挙においても示された。いま政権をもっているということが将来を決定・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・「ふん、どうしてお父うさんを納得させようと云うのだ。」「僕の思想が危険思想でもなんでもないと云うことを言って聞せさえすれば好いのだが。」「どう言って聞せるね。僕がお父うさんだと思って、そこで一つ言って見給え。」「困るなあ」と・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・佐野さんは親が坊さんにすると云って、例の殺生石の伝説で名高い、源翁禅師を開基としている安穏寺に預けて置くと、お蝶が見初めて、いろいろにして近附いて、最初は容易に聴かなかったのを納得させた。婿を嫌ったのは、佐野さんがあるからの事であった。安穏・・・ 森鴎外 「心中」
出典:青空文庫