・・・藁沓を履いて、綿ネルの布切で首から頭から包んだり、綿の厚くはいった紺の雪袴を穿いたり――女も――していた。そして耕吉の落着先きを想わせ、また子供の時分から慣れ親しんできた彼には、言い知れぬ安易さを感じさせるような雪国らしいにおいが、乗客の立・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・服装については自分は先生からは落第点をもらっていた。綿ネルの下着が袖口から二寸もはみ出しているのが、いつも先生から笑われる種であった。それから、自分が生来のわがまま者でたとえば引っ越しの時などでもちっとも手伝わなかったりするので、この点でも・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・垢だらけの綿ネルシャツの袖口は金ボタンのカフスと相接した。乗換切符の要求、田舎ものの狼狽。車の中は頭痛のするほど騒しい中に、いつか下町の優しい女の話声も交るようになった。 木挽町の河岸へ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがある・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 参詣人の大群は、日和下駄をはき、真新しい白綿ネルの腰巻きをはためかせ、従順にかたまって動いているが、あの夥しい顔、顔が一つも目に入らず、黄色や牡丹色の徽章ばっかりが灰色の上に浮立ち動いているのは、どうしたものだろう。数が多すぎるばかり・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
出典:青空文庫