・・・また画そのものも、ただ濁った水と、湿った土と、そうしてその土に繁茂する草木とを描いただけだから、恐らく尋常の見物からは、文字通り一顧さえも受けなかった事であろう。 その上不思議な事にこの画家は、蓊鬱たる草木を描きながら、一刷毛も緑の色を・・・ 芥川竜之介 「沼地」
・・・ 三 門、背戸の清き流、軒に高き二本柳、――その青柳の葉の繁茂――ここに彳み、あの背戸に団扇を持った、その姿が思われます。それは昔のままだったが、一棟、西洋館が別に立ち、帳場も卓子を置いた受附になって、蔦屋の様子・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・今より八百年前の昔にはそこに繁茂せる良き林がありました。しかして降って今より二百年前まではところどころに樫の林を見ることができました。しかるに文明の進むと同時に人の欲心はますます増進し、彼らは土地より取るに急にしてこれに酬ゆるに緩でありまし・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・夏は、青々とした雑草が、勝手きまゝにそこに繁茂した。秋の末になると、その雑草は、灰色になって枯れた。黄金色にみのった稲穂の真中を、そこだけは、真直に、枯色の反物を引っぱったようになっていた。秋からは、その沿線附近一帯をも、あまり儲けにならな・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・眉毛は太く短くまっ黒で、おどおどした両の小さい眼を被いかくすほどもじゃもじゃ繁茂していやがる。額はあくまでもせまく皺が横に二筋はっきりきざまれていて、もう、なっちゃいない。首がふとく、襟脚はいやに鈍重な感じで、顎の下に赤い吹出物の跡を三つも・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ 街道には久しく村落がないが、西方には楊樹のやや暗い繁茂がいたるところにかたまって、その間からちらちら白色褐色の民家が見える。人の影はあたりを見まわしてもないが、青い細い炊煙は糸のように淋しく立ちがる。 夕日は物の影をすべて長く曳く・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・事によると、昔のある時代に繁茂していた植物のコロニーが、ある年の大噴火で死滅し、その上に一メートルほどの降砂が堆積した後に、再び植物の移住定着が始まり、その後は無事で今日に到ったのではないかという気がする。 峰の茶屋には白黒だんだらの棒・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・草はいくら食ってもとても食い切れそうもないほど青々と繁茂しているのである。食うことだけの世界では羊は幸福な存在である。 六日の朝札幌を立った。倶知安で買った弁当の副食物が、物理的には色々ちがった物質を使ってあるがどれにも味というものが欠・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ 日本の家屋が木造を主として発達した第一の理由はもちろん至るところに繁茂した良材の得やすいためであろう、そうして頻繁な地震や台風の襲来に耐えるために平家造りか、せいぜい二階建てが限度となったものであろう。五重の塔のごときは特例であるが、・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・墓地本道の左右に繁茂していた古松老杉も今は大方枯死し、桜樹も亦古人の詩賦中に見るが如きものは既に大抵烏有となったようである。根津権現の花も今はどうなったであろうか。 根津権現の社頭には慶応四年より明治二十一年まで凡二十一年間遊女屋の在っ・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫