・・・…… しょぼけ返って、蠢くたびに、啾々と陰気に幽な音がする。腐れた肺が呼吸に鳴るのか――ぐしょ濡れで裾から雫が垂れるから、骨を絞る響であろう――傘の古骨が風に軋むように、啾々と不気味に聞こえる。「しいッ、」「やあ、」 しッ、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 道を挟んで、牡丹と相向う処に、亜鉛と柿の継はぎなのが、ともに腐れ、屋根が落ち、柱の倒れた、以前掛茶屋か、中食であったらしい伏屋の残骸が、蓬の裡にのめっていた。あるいは、足休めの客の愛想に、道の対う側を花畑にしていたものかも知れない。流・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ と、紫玉の手には、ずぶずぶと響いて、腐れた瓜を突刺す気味合。 指環は緑紅の結晶したる玉のごとき虹である。眩しかったろう。坊主は開いた目も閉じて、ぼうとした顔色で、しっきりもなしに、だらだらと涎を垂らす。「ああ、手がだるい、まだ?」・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・しかしお前の身の腐れはお前の魂から入れ変えなけりゃア、到底、直りッこはないんだ。――これは何も焼き餅から言うんじゃアない、お前のためを思って言うんだ」 怒りはしたものの、僕は涙がこぼれた。それとなく、ハンケチを出して目を拭きながら座敷を・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・この砂をすこしばかり、どんなものの上にでも振りかけたなら、そのものは、すぐに腐れ、さび、もしくは疲れてしまう。で、おまえにこの袋の中の砂を分けてやるから、これからこの世界を歩くところは、どこにでもすこしずつ、この砂をまいていってくれい。」・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・奈良、法隆寺と海の遠い処の、宿屋に泊って、半分腐れかゝった魚を食べさせられた自分は、舞子の一泊を忘れることが出来ない。闇の中を青い火を点した蒸気船が通る。彼方にいた、赤い小さな燈火が、いつか、目の前に来ている。 淡路島の一角に建てられた・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・他の労働者達は焚き火にあたりながら冗談を云ったり、悪戯をしたりして、笑いころげていたが、京一だけは彼等の群から離れて、埃や、醤油粕の腐れなどを積上げた片隅でボンヤリ時間を過した。そのあたりからは、植物性の物質が腐敗して発する吐き出したいよう・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・驚きて吐き出すに腐れたるなり。嗽ぎて嗽げども胸わろし。この度は水の椀にとりて見るにまたおなじ、次もおなじ。これにて二銭種なしとぞなりける。腹はたてども飯ばかり喰いぬ。鳥目を種なしにした残念さ うっかり買たくされ卵子に・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 延び過ぎた芝の根もとが腐れかかっているのを見た時に、私はふと単純な言葉の上の連想から、あまりに栄え茂りすぎた物質的文化のために人間生活の根本が腐れかかるのではないかと思ってみた。そしてそれを救うにはなんとかして少しこの文明を刈り込む必・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・これらの記事がもし半分でも事実とすると、東京市の公共機関の内部には、ゆるみきりにゆるんでしまって、そうして生命を亡って腐れてしまった部分がいくらかはあると見える。新聞ばかり見ていると東京も日本も骨髄まで腐れているかと思うこともあるが、そうで・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
出典:青空文庫