・・・何しろのめのめと我々の前へ面をさらした上に、御本望を遂げられ、大慶の至りなどと云うのですからな。」「高田も高田じゃが、小山田庄左衛門などもしようのないたわけ者じゃ。」 間瀬久太夫が、誰に云うともなくこう云うと、原惣右衛門や小野寺十内・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・戊申(天智天皇日本の船師、始めて至り、大唐の船師と合戦う。日本利あらずして退く。己酉……さらに日本の乱伍、中軍の卒を率いて進みて大唐の軍を伐つ。大唐、便ち左右より船を夾みて繞り戦う。須臾の際に官軍敗績れぬ。水に赴きて溺死る者衆し。艫舳、廻旋・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・爾来諸君はこの農場を貫通する川の沿岸に堀立小屋を営み、あらゆる艱難と戦って、この土地を開拓し、ついに今日のような美しい農作地を見るに至りました。もとより開墾の初期に草分けとしてはいった数人の人は、今は一人も残ってはいませんが、その後毎年はい・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・其家のなにがし、遠き昔なりけん、村隣りに尋ぬるものありとて、一日宵のほどふと家を出でしがそのまま帰らず、捜すに処無きに至りて世に亡きものに極りぬ。三年の祥月命日の真夜中とぞ。雨強く風烈しく、戸を揺り垣を動かす、物凄じく暴るる夜なりしが、ずど・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・トタンに件の幽霊は行燈の火を吹消して、暗中を走る跫音、遠く、遠く、遠くなりつつ、長き廊下の尽頭に至りて、そのままハタと留むべきなり。 夜はいよいよ更けて、風寒きに、怪者の再来を慮りて、諸君は一夜を待明かさむ。 明くるを待ちて主翁に会・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・曰く、「(戊戌夏に至りては愈々その異なるを覚えしかども尚悟らず、こは眼鏡の曇りたる故ならめと謬り思ひて、俗に本玉とかいふ水晶製の眼鏡の価貴きをも厭はで此彼と多く購ひ求めて掛替々々凌ぐものから(中略、去歳庚子夏に至りては只朦々朧々として細字を・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ やがて春風荘の一室に落ちつくと、父は、俺はあの時お前の若気の至りを咎めて勘当したが、思えば俺の方こそ若気の至りだとあとで後悔した。新聞を見たのでたまりかねて飛んできたが、見れば俺も老けたがお前ももうあまり若いといえんな、そうかもう三十・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・しかもあとお茶をすすり、爪楊子を使うとは、若気の至りか、厚顔しいのか、ともあれ色気も何もあったものではなく、Kはプリプリ怒り出して、それが原因でかなり見るべきところのあったその恋も無残に破れてしまったのである。けれども今もなお私は「月ヶ瀬」・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 水野が堪え堪えし涙ここに至りて玉のごとく手紙の上に落ちたのを見て、聴く方でもじっと怺えていたのが、あだかも電気に打たれたかのように、一斉に飛び立ったが感極まってだれも一語を発し得ない。一種言うべからざるすさまじさがこの一区画に充ちた。・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・ 二郎はわれを導きてその船室に至り、貴嬢の写真取り出して写真掛けなるわが写真の下にはさみ、われを顧みてほほえみつ、彼女またわれらの中に帰り来たりぬといえり。この言葉は短けれどその意は長し―― この書状は例によりてかの人に託すべけれど・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
出典:青空文庫