・・・ 左様いう塾に就いて教を乞うのは、誰か紹介者が有ればそれで宜しいので、其の頃でも英学や数学の方の私塾はやや営業的で、規則書が有り、月謝束修の制度も整然と立って居たのですが、漢学の方などはまだ古風なもので、塾規が無いのではありませんが至っ・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・茶道にも機運というものでがなあろう、英霊底の漢子が段に出て来た。松永弾正でも織田信長でも、風流もなきにあらず、余裕もあった人であるから、皆茶讌を喜んだ。しかし大煽りに煽ったのは秀吉であった。奥州武士の伊達政宗が罪を堂ヶ島に待つ間にさえ茶事を・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・独り漢文学然るに非ず。英のシエクスピールやミルトンや仏のパスカルやコルネイユや皆別に機軸を出さざる莫し。然らずんば何の尊ぶ可きことか之れ有らん。 記してあるのみならず、平生予に向っても昔し蘇東坡は極力孟子の文を学び、竟に孟子以外に一・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・此頃も英吉利の永田君から手紙が来たがね、お互いにチョン髷党だッて――」「そう謙遜したものでもなかろう。バルザックやドウデエなぞを読出したのは、君の方が僕より早いぜ――見給え」「あの時分は夢中だった」と原は言消して、やがて気を変えて、・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・やら頑張って商売をつづけてまいりまして、また、そうなると、ひいきのお客もむきになって応援をして下さって、所謂あの軍官の酒さかなが、こちらへも少しずつ流れて来るような道を、ひらいて下さるお方もあり、対米英戦がはじまって、だんだん空襲がはげしく・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・敵は米英という事になった。 × ジリ貧という言葉を、大本営の将軍たちは、大まじめで教えていた。ユウモアのつもりでもないらしい。しかし私はその言葉を、笑いを伴わずに言う事が出来なかった。この一戦なにがなんでもやり抜くぞ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・ 私はこのイズムには始めて出会ったので、早速英辞書をあけて調べていると psittaciというのは鸚鵡の類をさす動物学の学名で、これにイズムがついたのは、「反省的自覚なき心の機械的状態」あるいは「鸚鵡のような心的状態」という意味だとある・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・ 四月も末近く、紫木蓮の花弁の居住いが何となくだらしがなくなると同時にはじめ目立たなかった青葉の方が次第に威勢がよくなって来るとその隣の赤椿の朝々の落花の数が多くなり、蘇枋の花房の枝の先に若葉がちょぼちょぼと散点して見え出す。すると霧島・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・唯横浜正金銀行と三井物産会社とが英租界の最も繁華な河岸通にあったのだという。 美租界と英租界との間に運河があって、虹口橋とか呼ばれた橋がかかっていた。橋をわたると黄浦江の岸に臨んで洋式の公園がある。わたくしは晩餐をすましてから、会社の人・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・品行を責め罵るなぞはちょっと輸入的ノラらしくて面白いかも知れぬが、しかし見た処の外観からして如何にも真底からノラらしい深みと強みを見せようというには、やはり髪の毛を黄く眼を青くして、成ろう事なら言葉も英語か独逸語でやった方がなお一層よさそう・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫