・・・貯金の宣伝は紙芝居でずいぶんやったし、それに私の経歴が経歴ですから、われながら苦笑するくらいの適任だと言えるわけですが、しかしたった一つ私の悪い癖は、生れつき言葉がぞんざいで、敬語というものが巧く使えない。それはこの話しっぷりでもいくらか判・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ よう/\三百の帰った後で、彼は傍で聴いていた長男と顔を見交わして苦笑しながら云った。「……そう、変な奴」 子供も同じように悲しそうな苦笑を浮べて云った。…… 狭い庭の隣りが墓地になっていた。そこの今にも倒れそうになって・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 自分はクルリと寝返りを打ったが、そっと口の中で苦笑を噛み潰した。 六円いくら――それはある雑誌に自分が談話をしたお礼として昨日二十円届けられた、その金だった。それが自分の二月じゅうの全収入……こればかしの金でどう使いようもないと思・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・硫酸に侵されているような気持の底で、そんなことをこの番頭に聞かしたらというような苦笑も感じながら、彼もやはり番頭のような無関心を顔に装って一通りそれと一緒に処分されたものを聞くと、彼はその店を出た。 一匹の痩せ衰えた犬が、霜解けの路ばた・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・と妻のうれしそうに問のを苦笑で受けて、手軽く、「能く事わけを話したら渡した」とのみ。妻は猶おその様子まで詳しく聴きたかったらしいが自分の進まぬ風を見て、別に深くも訊ねず、「どんなに心配しましたろう。もしも渡さなかったらと思って取越苦・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 将校はテレかくしに苦笑した。 シャベルを持っている兵卒は逡巡した。まだ老人は生きて、はねまわっているのだ。「やれツ! かまわぬ。埋めっちまえ!」「ほんとにいゝんですか? ××殿!」 兵卒は、手が慄えて、シャベルを動かす・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ スパイは苦笑した。「よいしょ。」「よい来た。」「よいしょ。」「よい来た。」 薪は、積重ねられて、だん/\に家ほどの高さになってきた。五月の太陽はうら/\と照っていた。笹や、団栗や、雑草の青い葉は、洗われたように、せ・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・ フンこんなばかな理窟の通らない話があるか、そう思い、龍介は独りで苦笑した。 龍介は街に入ると、どこかのカフェーに入って、Sに電話をかけてみようと思った。が彼の通ってゆく途中の一軒一軒が、彼を素直な気持で入らせなかった。結局、彼は行きつ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・と原は苦笑して、「僕なぞは別に新しいものを読まないさ。此頃も英吉利の永田君から手紙が来たがね、お互いにチョン髷党だッて――」「そう謙遜したものでもなかろう。バルザックやドウデエなぞを読出したのは、君の方が僕より早いぜ――見給え」「あ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・でも、そういう人は私の書いたものが旧い友だちのうわさに上るというだけにも満足して、にわかに自分の夫を見直すような顔つきであったには、私も苦笑せずにはいられなかった。そのころの私が自分の周囲に見いだす著作者たちはと言えば、そのいずれもが新聞社・・・ 島崎藤村 「分配」
出典:青空文庫