・・・いやに、老成ぶった口調だったので、みんな苦笑した。次兄も、れいのけッという怪しい笑声を発した。末弟は、ぶうっとふくれて、「僕は、そのおじいさんは、きっと大数学者じゃないか、と思うのです。きっと、そうだ。偉い数学者なんだ。もちろん博士さ。・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・花の衣服をするっと脱いだら、おまもり袋が首にぷらんとさがっていたっけ、とその友人の画家が苦笑していた。 また、こんな話も聞いた。 その男は、甚だ身だしなみがよかった。鼻をかむのにさえ、両手の小指をつんとそらして行った。洗練されて・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・運転手は苦笑しながら、なおも、ゆるやかに警笛を鳴らした。乗客の自分も失笑したが、とにかくこの流行言葉にはどこか若干の「俳諧」がある。 五 盲や聾から考えると普通の人間は二重人格のように思われるかもしれない。性・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・これは当の地震学者は勿論すべての物理的科学者の苦笑の種となったものである。 震源とは何を意味するか、また現在震源を推定する方法が如何なるものであるかというような事を多少でも心得ている人にとっては、新聞紙のいわゆる震源争いなるものが如何に・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・道太は苦笑した。「そう、少し喇叭の方かもしれん」「家のやつも人を悦ばせるのは嫌いな方じゃないけれど」「庄ちゃんが讃めていたから、いい人でしょうね。けど奥さんもずいぶん骨が折れますわ。幾歳だとか……」「絹ちゃんより少し若い。巳・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・このまえ会った時、ある蓄財家の話が出たら、いったいあんなに金をためてどうするりょうけんだろうと言って苦笑していた。先生はこれからさき、日本政府からもらう恩給と、今までの月給の余りとで、暮らしてゆくのだが、その月給の余りというのは、天然自然に・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・集れる人々の中には、彼のつまらない生涯を臆面もなくくだくだと述べ立てたのに対して、嫌気を催したものもあったであろう、心窃に苦笑したものもあったかも知れない。しかし凹字形に並べられたテーブルに、彼を中心として暫く昔話が続けられた。その中、彼は・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ 豚はそのあとで、何べんも、校長の今の苦笑やいかにも底意のある語を、繰り返し繰り返しして見て、身ぶるいしながらひとりごとした。『とにかくよくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。』一体これはどう云う事か。ああつらいつらい。豚は斯・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・夫婦揃ったところを見ると、陽子は微に苦笑したい心持になった。薄穢く丸っこいところから、細々したことに好奇心を抱くところ、慾張りそうなところ、睦まじく互いにそっくり似合っている。 始めての経験である間借りの生活に興味を覚えつつ、陽子は部屋・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 主人は苦笑をして、酒をちびりちびり飲んでいる。 通訳あがりの男は、何か思い出して舌舐ずりをした。「お蔭で我々が久し振に大牢の味いに有り附いたのだ。酒は幾らでも飲ませてくれたし、あの時位僕は愉快だった事は無いよ。なんにしろ、兵站には・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫