・・・山科や円山の謀議の昔を思い返せば、当時の苦衷が再び心の中によみ返って来る。――しかし、もうすべては行く処へ行きついた。 もし、まだ片のつかないものがあるとすれば、それは一党四十七人に対する、公儀の御沙汰だけである。が、その御沙汰があるの・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・なるほど、このていたらくでは襖をとざして人目を避けなければならぬ筈であると、はじめて先生の苦衷のほどを察した。けれどもこんな心細い腕前で「主客共に清雅の和楽を尽さん」と計るのも極めて無鉄砲な話であると思った。所詮理想主義者は、その実行に当っ・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・お前さんと平田の苦衷を察しると、私一人どうして来られるものか」「なぜそんなことをお言なさるの。私ゃそんなつもりで」「そりゃわかッてる。それで来る来ないと言うわけじゃない。実に忍びないからだ」「いや、いや、私ゃ否ですよ。私が小万さ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・を瞥見し、私は、文学に、何ぞこの封建風な徒弟気質ぞ、と感じ、更に、そのような苦衷、あるいは卑屈に似た状態におとしめられていることに対して、ヒューマニズムは、先ず、文学的インテリゲンチアをゆすぶって、憤りを、憤るという人間的な権利をもっている・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・ 女であってみれば、孝子夫人の苦衷は十分思いやられた。御良人の語られない不如意の大さも、諒察された。けれども、私たち女が、或るひとの妻として生きることと、そして、或る人が、一人の女の生涯を妻としてわが生涯に織りあわせて生きる互の結ばれの・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・第一次大戦後、平和のための国際連盟にアメリカが、最大の能力をもちながら加入しなかったことは、当時の大統領ウィルソンの苦衷ばかりではなかった。世界の資本主義経済の網目のなかで、アメリカの富が次第にその国にとって持ちおもりのするものとなりつつあ・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・日本ペンクラブの代表がどのようにその討論に参加されたのかしらないが、これらの日本文学の現状のいくばくを、世界代表たちに理解させることに成功されたであろうかと、文学に生きようとしている者は、或る意味で苦衷を察しつつ猶、熱心な待ち設けを、報告に・・・ 宮本百合子 「ペンクラブのパリ大会」
・・・そういう思想を時代の圧力として、いずれかといえばリベラルな立場を持っていた父親公荘を、通俗に中途であっさり病死させている作者の手法のかげに、この作の中途で警視庁に呼びつけられたりした作者の語られない苦衷があるのかもしれない。私たちは読者とし・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫