・・・すると女は不相変畳へ眼を落したまま、こう云う話を始めたそうです――「ちょうど今から五年以前、女の夫は浅草田原町に米屋の店を開いていましたが、株に手を出したばっかりに、とうとう家産を蕩尽して、夜逃げ同様横浜へ落ちて行く事になりました。が、・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ 主人の語るところによると、この哀れなきょうだいの父親というは、非常な大酒家で、そのために命をも縮め、家産をも蕩尽したのだそうです。そして姉も弟も初めのうちは小学校に出していたのが、二人とも何一つ学び得ず、いくら教師が骨を折ってもむだで・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・ 地震によって惹起される津波もまたしばしば、おそらく人間の一代に一つか二つぐらいずつは、大八州国のどこかの浦べを襲って少なからざる人畜家財を蕩尽したようである。 動かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が時として大いに震え・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・雲如は江戸の商家に生れたが初文章を長野豊山に学び、後に詩を梁川星巌に学び、家産を蕩尽した後一生を旅寓に送った奇人である。晩年京師に留り遂にその地に終った。雲如の一生は寛政詩学の四大家中に数えられた柏木如亭に酷似している。如亭も江戸の人で生涯・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・祖父の死後秋三の父は莫大な家産を蕩尽して出奔した。それに引き換え、勘次の父は村会を圧する程隆盛になって来た。そこで勘次の父は秋三の家が没落して他人手に渡ろうとした時、復讐と恩酬とを籠めたあらゆる意味において、「今だ!」と思った。そして、妻が・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫