・・・ 紫の袖が解けると、扇子が、柳の膝に、丁と当った。 びくりとして、三つ、ひらめく舌を縮めた。風のごとく駆下りた、ほとんど魚の死骸の鰭のあたりから、ずるずると石段を這返して、揃って、姫を空に仰いだ、一所の鎌首は、如意に似て、ずるずると・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ここで暖かに心が解けると、……分かった、饂飩で虐待した理由というのが――紹介状をつけた画伯は、近頃でこそ一家をなしたが、若くて放浪した時代に信州路を経歴って、その旅館には五月あまりも閉じ籠もった。滞る旅籠代の催促もせず、帰途には草鞋銭まで心・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・五次方程式が代数的に解けるものだか、どうだか、発散級数の和が、有ろうと無かろうと、今は、そんな迂遠な事をこね廻している時じゃないって、誰かに言われているような気がするのだ。個人の事情を捨てろって、こないだも、上級の生徒に言われたよ。でも、そ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・それから色々の代数の問題はひとりで楽に解けるようになった。始めて、幾何学のピタゴラスの定理に打つかった時にはそれでも三週間頭をひねったが、おしまいには遂にその証明に成効した。論理的に確実なある物を捕える喜びは、もうこの頃から彼のうら若い頭に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・楽器の弦の調子を合わせて行ってぴったりと合ったような、あるいははまりにくい器械のねじがやっとはまった時のような、なんという事なしに肩の凝りがすうっと解けるような気がするものである。 そういうふうにうまく行った所はもう二度といじるのが恐ろ・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・二年振りで横浜へ上陸して、埠頭から停車場へ向かう途中で寛闊な日本服を着て素足で歩いている人々を見た時には、永い間カラーやカフスで責めつけられていた旅の緊張が急に解けるような気がしたが、この心持は間もなく裏切られてしまわねばならなかった。その・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・彼はすぐ怒るだけに又すぐに解ける。殊に瞽女のお石と馴染んでからはもうどんな時でもお石の噺が出れば相好を崩して畢う。大きな口が更に拡がって鉄漿をつけたような穢い歯がむき出して更に中症に罹った人のように頭を少し振りながら笑うのである。然し瞽女の・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・びもとの夫婦に立ち帰って、病妻の看護に身を委ねたというのがモーパサンの小説の筋ですが、男の疑も好い加減な程度で留めておけばこれほどの大事には至らなかったかも知れないが、そうすれば彼の懐疑は一生徹底的に解ける日は来なかったでしょう。またここま・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・やがてはらはらと、解けるように花が開いてしまう。この時には何の音もしない。最初二ひら三ひら開いたときには、つい見ていなかったのではあるが、しかし側にいたのであるから、音がすれば聞こえたはずである。どうも音なんぞはしないらしい。 それでは・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・ こう考えてくると埴輪の人形の持っているあの不思議な生気のなぞが解けるかと思う。埴輪人形の製作者は人体を写実的に作ろうとしたのではない。ただ意味ある形を作ろうとしただけである。しかし意味ある形のうちの最も重要なものが人の顔面であったがゆ・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
出典:青空文庫