・・・そして喜んで私塾設立の儀を承諾した、さなきだにかれは自分で何らの仕事をか企てんとしていて言い出しにくく思っていたところであるから。「杉の杜の髯」の予言のあたったのはここまでである。さてこの以後が「髯」の予言しのこした豊吉の運命である。・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・関東震災のおかげで大学に地震研究所が設立されると同時に自分は学部との縁を切って研究所員に転じ、しばらくの間は工学部のある教室のバラックの仮事務所に出入りしていて、研究所の本建築が出来上がると同時にその方に引越した。こうして転々と居所を変えて・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・それで、もし、この式のほかに、場合によっていろいろ数はちがうが、とにかく数個の境界条件ならびに当初条件を表示する数式を与えると、そこで始めて一つの具体的な問題が設立され、設立されると同時に少なくも理論上には解式は決定されるのであって、学者は・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・をきわめたものである。これほど精巧な器械を捨てて顧みないのは誠にもったいないような気がする。この天成の妙機を捨てる代わりに、これを活用してその長所を発揮するような、そういう「科学の分派」を設立することは不可能であろうか。こういう疑問を起こさ・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・大正七年三菱研究所の創立に際してその所長となったが、その設立については末広君が主要な中心人物の一人として活動した事は明白な事実である。大正十二年関東大震災以前から既に地震学に興味をもっていたが、大震災の惨害を体験した動機から、地震に対する特・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・存在などは忘れていたらしく見える政治界経済界の有力な方々が急に颱風並びにそれに聯関した現象による災害の防止法を科学的に研究しなければならないということを主唱するようになり、結局実際にそういう研究機関が設立されることになったという噂である。誠・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・ この方則の設立、エントロピーの概念の導入という事が物理学の発達史上でいかに重大なものであったかという事は種々の方面から論ずる事ができようが、ここで述べたいと思うのは、空間化された「時」だけでは取り扱う事のできぬ現象を記載するために最も・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・癌研究所と同様に国家癌の科学的研究所の設立も今日の国家の急務であるかもしれないのである。 十三 九月中旬になって東京の街路を飾るプラタヌスの並み木が何か思い出しでもしたように新しい芽を出している。老衰して黒っぽく・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・また相対性原理を設立したアインシュタインが子供のときに独りでこの定理を見付けたとかいう話が伝えられている。この同じピタゴラスがまた楽音の協和と整数の比との関係の発見者であり、宇宙の調和の唱道者であったことはよく知られているようであるが、この・・・ 寺田寅彦 「ピタゴラスと豆」
・・・は一つの夢のような大新聞の設立に移って行った。 この社の主脳を形成するものは、あらゆる官庁学校商社のみならず、各政党や宗教家思想家のあらゆる団体の代表的人物を網羅したものでなければならない。そしてそれらの社員は単に寄書家という格で外様大・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
出典:青空文庫