・・・取り申し候 必ず必ず未練のことあるべからず候 母が身ももはやながくはあるまじく今日明日を定め難き命に候えば今申すことをば今生の遺言とも心得て深く心にきざみ置かれたく候そなたが父は順逆の道を誤りたまいて前原が一味に加わり候ものから・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・されどわれすでにこの三通にて厭き足りぬと思いたまわば誤りなり。今はわれ貴嬢に願うべき時となりぬ。貴嬢はわが願いを入れ、忍びて事の成り行きを見ざるべからず、しかも貴嬢、事の落着は遠くもあるまじ、次を見候え。――手荒く窓を開きぬ。地平線上は灰色・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・幸助十二歳の時、子供らと海に遊び、誤りて溺れしを、見てありし子供ら、畏れ逃げてこの事を人に告げざりき。夕暮になりて幸助の帰りこぬに心づき、驚きて吾らもともに捜せし時はいうまでもなく事遅れて、哀れの骸は不思議にも源叔父が舟底に沈みいたり。・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・二度くりかえして読み、書き誤りを見出さず、それから、左手に外套と帽子を持ち右手にそのいちまいの答案を持って、立ちあがった。われのうしろの秀才は、われの立ったために、あわてふためいていた。われの背こそは、この男の防風林になっていたのだ。ああ。・・・ 太宰治 「逆行」
・・・天才の誠実を誤り伝えるのは、この人たちである。そうしてかえって、俗物の偽善に支持を与えるのはこの人たちである。日本には、半可通ばかりうようよいて、国土を埋めたといっても過言ではあるまい。 もっと気弱くなれ! 偉いのはお前じゃないんだ! ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・しかしS先生が意識して嘘をわざわざ書かれるはずはないので、詳細の点に関する記憶の誤りや思い違いはあるにしても大体の事実に相違はないであろうと思われた。それで、これは夏目先生に関する一つの資料として保存しておけば他日きっと役に立つ機会があるで・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・がないという考えは根本的の誤謬であって、この誤りを認証した上では立体映画なるもののもたらしうべき可能性の幅員はおのずから見積もり得られるであろうと思う。 人工映画 実在の人間や動物や家屋や景色や、あるいは実在なものの・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ いま現在の生活からその土台になっている過去の生活を正確に顧みて、これを誤りなく記述する事は容易でない。糞尿を分析すれば飲食した物の何であったかはこれを知ることが出来るが、食った刹那の香味に至っては、これを語って人をして垂涎三尺たらしむ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・当節の文学雑誌の紙質の粗悪に植字の誤り多く、体裁の卑俗な事も、単に経済的事情のためとのみはいわれまい……。 閑話休題。妾宅の台所にてはお妾が心づくしの手料理白魚の雲丹焼が出来上り、それからお取り膳の差しつ押えつ、まことにお浦山吹きの一場・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・したがって古に拘泥してあらゆる未来の作物にこれらを応用して得たりと思うは誤りである。死したる自然は古今来を通じて同一である。活動せる人間精神の発現は版行で押したようには行かぬ。過去の文学は未来の文学を生む。生まれたものは同じ訳には行かぬ。同・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
出典:青空文庫