・・・ 反対の側のデッキには、舞踏などまるで問題にしないで談笑している一組もあった。四月二十二日 夜九時から甲板で音楽会をやった。一人前五十ペンスずつ集めてロイド会社の船員の寡婦や孤児にやるのだという。 英国人で五十歳ぐらいの背の・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・世界の如何なる片隅をも我家のように楽しく談笑している外国人の中に交って、自分ばかりは唯独り心淋しく傾けるキァンチの一壜に年を追うて漸く消えかかる遠い国の思出を呼び戻す事もあった。 銀座界隈には何という事なく凡ての新しいものと古いものとが・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・したがって人との応接が楽になり、朗らかな気持で談笑することが出来てきた。そして一般に、生活の気持がゆったりと楽になって来た。だがその代りに、詩は年齢と共に拙くなって来た。つまり僕は、次第に世俗の平凡人に変化しつつあるのである。これは僕にとっ・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・今この語法に従い女子に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経済法律の要を忘れず、深く之を心に蔵めて随時に活用し、一挙一動一言一話活溌と共に野・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・我輩が茲に鄙陋不品行の風と記したるは、必ずしも其人が実際に婬醜の罪を犯したる其罪を咎むるのみに非ず、平生の言行野鄙にして礼儀上に忌む可きを知らず、動もすれば談笑の間にもあられぬ言葉を漏らして、当人よりも却て聞く者をして赤面せしむるが如き、都・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・自重の高処に進めたるものにして、精神一度び定まるときは、その働きはただ人倫の区域のみに止まらず、発しては社会交際の運動となり、言語応対の風采となり、浩然の気外に溢れて、身外の万物恐るるに足るものなし。談笑洒落・進退自由にして縦横憚る所なきが・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・曰く其角を尋ね嵐雪を訪い素堂を倡い鬼貫に伴う、日々この四老に会してわずかに市城名利の域を離れ林園に遊び山水にうたげし酒を酌みて談笑し句を得ることはもっぱら不用意を貴ぶ、かくのごとくすること日々ある日また四老に会す、幽賞雅懐はじめのご・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・労働に疲れ種々の患難に包まれて意気銷沈した時には或は小さな歌謡を口吟む、談笑する音楽を聴く観劇や小遠足にも出ることが大へん効果あるように食事も又一の心身回復剤である。この快楽を菜食ならば著しく減ずると思う。殊に愉快に食べたものならば実際消化・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・私が行ったとき、托児所の庭の青々と茂った夏の楡の樹の下にやや年かさの女が三つばかりの男の子を抱き、金髪の若々しい母親が白い服を着せた生れたばかりの赤児を抱いて、静かに談笑しながら休んでいた。話して見ると、何と愉快なことだろう。この二人の年齢・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・嬉々として先に行く子供たち。談笑し議論しながら一団となって来る若き革命家たち。ほかの日には書斎のカーペットがすり切れているほど机のぐるりを歩き廻って、朝九時から夜中まで仕事しているカールも、日曜日ばかりはイエニーと子供たちとの完全なとりこに・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
出典:青空文庫