・・・ 吉助「われら三年の間、諸処を経めぐった事がござる。その折さる海辺にて、見知らぬ紅毛人より伝授を受け申した。」 奉行「伝授するには、いかなる儀式を行うたぞ。」 吉助「御水を頂戴致いてから、じゅりあのと申す名を賜ってござる。」・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・天狗の麦飯だの、餓鬼の麦飯だのといって、この山のみではない諸処にある。浅間山観測所附近にもある。北海道にもある、支那にもあるから太平広記に出ている。これは元来が動物質だから食えるものである。で、飯綱は仮名ちがいの擬字で、これがあるからの飯沙・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・の諸家の序やら跋やら、または編者の筆になるところの年譜、逸話集、写真説明の文など、諸処方々から少しずつ無断盗用して、あやうく、纏めた故葛原勾当の極めて大ざっぱな略伝である。その人と為りに就いての、私一個人の偽らぬ感想は、わざと避けた。日記の・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・また年末には夜店に梅の鉢物が並べられ、市中諸処の縁日にも必ず植木屋が出ていた。これを見て或人はわたしの説を駁して、現代の人が祖国の花木に対して冷淡になっているはずはないと言うかも知れない。しかしわたくしの見る処では、これは前の時代の風習の残・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ところが相手は是まで大分諸処方々無心に歩き廻った事があると見えて、僕よりはずっと馴れているらしい。「いくらでも結構です。足りなければ又いただきに来ますから。きょうはいくらでも御都合のいいだけで結構です。」「じゃ、これだけ持っておいで・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ わたくしは朝寐坊むらくという噺家の弟子になって一年あまり、毎夜市中諸処の寄席に通っていた事があった。その年正月の下半月、師匠の取席になったのは、深川高橋の近くにあった、常磐町の常磐亭であった。 毎日午後に、下谷御徒町にいた師匠むら・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ 明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめて厚・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
出典:青空文庫