・・・化学のK先生がそばにいて取り成しの役を勤められたのにお任せしてとにかく一同で謝罪と謹慎の意を表してゆるしてもらうことになったのである。 われわれの在学中田丸先生はほとんど一度も欠勤されなかったような気がする。当時一方には、日曜の翌日、す・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・商売柄だけに田舎者には相応に機転の利く女房は自分が水を汲んで頻りに謝罪しながら、片々の足袋を脱がして家へ連れ込んだ。太十がお石に馴染んだのは此夜からであった。そうして二三日帰らなかった。女の切な情というものを太十は盲女に知ったのである。目が・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・今日は大森君に詫まるためにわざわざ出かけた次第ではありませんけれども、ついでだからみんなのいる前で、謝罪しておくのです。 話がついとんだところへ外れてしまいましたから、再び元へ引き返して筋の立つように云いますと、つまりこうなるのです。・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・初会なら謝罪ッておくれ」「お馴染みですから」「誰だ。誰が来たんだ」と、西宮は小万の顔を真面目に見つめた。「おほほ――、妬けるんだよ」と、吉里は笑い出した。「ははははは。どうだい、僕の薬鑵から蒸気が発ッてやアしないか」「あ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・僕は弁護人諸君はただ単に弁護人だけにとどまらず、本当に日本の民主主義をまもり、憲法を擁護する人民のえらばれた検察官としてあの被告たちの真相をてってい的に究明してそして自分の前に謝罪せしめるように、どうかわれわれに御協力願いたい。」 被告・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・の一部を改めて上演せしことを知り、劇作家協会と共に立ってその非を鳴らし、ついに帝劇を謝罪せしむ。シュニツレル選集をこしらえて印税を全部送ったのもこの年のことである。 一九二三年。早稲田大学講師辞任。「同志の人々」「海彦山彦」等。 一・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・特に将校階級がトラックを使ってまで、軍の物資を分け取りしたことは輿論を激しく刺戟して、当時陸軍大臣が人民に謝罪をしたほどであった。残額は特殊預金とされたにしろ、戦災保険は五千円支払われた。解職手当、復員手当など、それぞれの家庭としては纏まっ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫