・・・家と屋敷ばかり広うても貧乏士族で実は喰うにも困る中を母が手内職で、子供心にはなんの苦労もなく日を送っていたのでございます。 母も心細いので山家の里に時々帰えるのが何よりの楽しみ、朝早く起きて、淋しい士族屋敷の杉垣ばかり並んだ中をとぼとぼ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 永久の貧乏 百姓達が、お前達は、いつまでたっても、──孫子の代になっても貧乏するばかりで、決して頭は上らない。と誰れかに云われる。 彼等は、それに対して返事をするすべを知らない。それは事実である。彼等は二十年、或は・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・君はそういう訳で歩いているなら、これこれの処にこういう寺がある、由緒は良くても今は貧乏寺だが、その寺の境内に小さな滝があって、その滝の水は無類の霊泉である。養老の霊泉は知らぬが、随分響き渡ったもので、二十里三十里をわざわざその滝へかかりに行・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・――先生はふだんから、貧乏な可哀相な人は助けてやらなければならないし、人とけんかしてはいけないと云っていましたね。それだのに、どうして戦争はしてもいいんですか。 先生、お父さんが可哀そうですから、どうか一日も早く戦争なんかやめるようにし・・・ 小林多喜二 「級長の願い」
・・・内儀「何が困るたって、あなた此様に貧乏になりきりまして、実に世間体も恥かしい事で、斯様な裏長屋へ入って、あなたは平気でいらっしゃるけれども、明日食べますお米を買って炊くことが出来ませんよ」七「出来ないって、何うも仕方がない、お米が天・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
一 貧乏な百姓の夫婦がいました。二人は子どもがたくさんあって、苦しいところへ、また一人、男の子が生れました。 けれども、そんなふうに家がひどく貧乏だものですから、人がいやがって、だれもその子の名附親・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・たんばかりに、そのあいつの一言一言に笑い興じて、いちどは博士も、席を蹴って憤然と立ちあがりましたが、そのとき、卓上から床にころげ落ちて在った一箇の蜜柑をぐしゃと踏みつぶして、おどろきの余り、ひッという貧乏くさい悲鳴を挙げたので、満座抱腹絶倒・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・そうして、こんなことを考えていると、自分がたまたま貧乏士族の子と生まれて田園の自然の間に育ったというなんの誇りにもならないことが世にもしあわせな運命であったかのような気もしてくるのである。・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・こんな貧乏世帯を張っているよりか、どのくらいましだか。お芳姉さんは、商売なんかする気はないでしょう。あの人にしたところで、辰之助さんの子が、今年兵隊検査に帰ったくらいですもの」おひろはぐんぐん言った。そして帳簿をつけてしまうと、ばたんと掛硯・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ どんなに貧乏だってかまわない。ゆくゆくは子供がうんとできて、自分の両親のようになってもかまわない。――「おれが、あの娘に話してみるか?」 うしろで、夫婦が相談はじめている。「それともお前がきいてみるか?」「そうね」「ど・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫