・・・H夫人は、日本からわざわざ持参のホオズキを鳴らしながら、相手かまわずいっさい日本語で買い物をして歩いた。自分はこの記事を読んだときに実に愉快になってしまって、さっそく切抜帳の中にこれらの記事をはり込んだことであった。西洋人なら乞食でも尊敬し・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・その頃家にいたお房という女とつれ立って、四谷通へ買物に出かける。市ヶ谷饅頭谷の貧しい町を通ると、三月の節句に近いころで、幾軒となく立ちつづく古道具屋の店先には、雛人形が並べてあったのを、お房が見てわたくしの袂を引いた。ほしければ買ってやろう・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・町の店はみんなやすんで買物などはいっさい禁制だ。明る土曜はまず平常の通りで、次が「イースター・サンデー」また買物を禁制される。翌日になってもう大丈夫と思うと、今度は「イースター・モンデー」だというのでまた店をとじる。火曜になってようやくもと・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・私はしばしばその鉄道で、町へ出かけて行って買物をしたり、時にはまた、女のいる店で酒を飲んだりした。だが私の実の楽しみは、軽便鉄道に乗ることの途中にあった。その玩具のような可愛い汽車は、落葉樹の林や、谷間の見える山峡やを、うねうねと曲りながら・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・何か買物でもしようかと思うて、それで車返せといおうとしたが、ちょっと買うような物がない。車は一足二足とまた進む。いっそ山下から返れといおうと思うたがそれもと思うて躊躇して居ると車は山を上ってしもうた。もう提灯も何も見えぬ。もう仕方がないとあ・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ さて、むかし、とっこべとら子は大きな川の岸に住んでいて、夜、網打ちに行った人から魚を盗ったり、買物をして町から遅く帰る人から油揚げを取りかえしたり、実に始末におえないものだったそうです。 慾ふかのじいさんが、ある晩ひどく酔っぱらっ・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・ 女の買い物の心理で、受持の先生は手紙をわたして戻って来た先生に何心なく、「うどんあるのかしら」と云った。「ないんだって」 そう云って出て行った。 さて、それなりそのことは忘れて、次の日例の如く三人つれ立っての帰途、・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・ 車で来る、八百屋からの買物を一文も価切らなかった事などで、お君は、いつもいつもいやな事ばかりきかされて居た。「お前の国では、庭先に燃きつけはころがって居るし、裏には大根が御意なりなんだから、御知りじゃああるまいが、東京ってとこ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ような、社会民政党の跋扈している時代になっても、ウィルヘルム第二世は護衛兵も連れずに、侍従武官と自動車に相乗をして、ぷっぷと喇叭を吹かせてベルリン中を駈け歩いて、出し抜に展覧会を見物しに行ったり、店へ買物をしに行ったりすることが出来るのであ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・お佐代さんが飯炊きをして、須磨子が買物に出る。須磨子の日向訛りが商人に通ぜぬので、用が弁ぜずにすごすご帰ることが多い。 お佐代さんは形ふりに構わず働いている。それでも「岡の小町」と言われた昔の俤はどこやらにある。このころ黒木孫右衛門とい・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫