・・・家は馬道辺で二階を人に貸して家賃の足しにしていた。おかみさんはまだ婆さんというほどではなく、案外垢抜けのした小柄の女で、上野広小路にあった映画館の案内人をしているとの事であった。爺さんはいつでも手拭を後鉢巻に結んでいるので、禿頭か白髪頭か、・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・新しきを嫌わず、古きを辞せず、人の見知らぬ盾あらば貸し玉え」 老人ははたと手を拍つ。「望める盾を貸し申そう。――長男チアーは去ぬる騎士の闘技に足を痛めて今なお蓐を離れず。その時彼が持ちたるは白地に赤く十字架を染めたる盾なり。ただの一度の・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・な、おまけに高利で貸した血の出るような金で、食い肥った立派な人だ。こんな赤ん坊を引裂こうが、ひねりつぶそうが、叩き殺そうが、そんなこたあ、お前には造作なくできるこった。お前には権力ってものがあるんだ。搾取機関と補助機関があるんだ。お前たちは・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・「名山さん、金盥が明いたら貸しておくれよ」と、今客を案内して来た小式部という花魁が言ッた。「小式部さん、これを上げよう」と、初緑は金盥の一個を小式部が方へ押しやり、一個に水を満々と湛えて、「さア善さん、お用いなさい。もうお湯がちっと・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・これを用いんか、奇計妙策、たちまち実際に行われて、この法を作り、かの律を製し、この条をけずり、かの目を加え、したがって出だせばしたがって改め、無辜の人民は身の進退を貸して他の草紙に供するが如きことあらん。国のために大なる害なり。あるいはこれ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・私は百二十年前にこの方に九円だけ貸しがあるので今はもう五千何円になっている。わしはこの方のあとをつけて歩いて毎日、日プで三十円ずつとる商売なんだ。」と云いながら自分の前のまっ赤なハイカラなばけものを指さしました。 するとその赤色のハイカ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・「――部屋貸しをするところあるかしらこの近所に」 ふき子は、びっくりしたように、「あら本気なの、陽ちゃん」といった。「本気になりそうだわ――ある? そんな家……もし本当にさがせば」「そりゃあってよ、どこだって貸すわ、・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・それを読んでいた時字書を貸して貰った。蘭和対訳の二冊物で、大きい厚い和本である。それを引っ繰り返して見ているうちに、サフランと云う語に撞着した。まだ植字啓源などと云う本の行われた時代の字書だから、音訳に漢字が当て嵌めてある。今でもその字を記・・・ 森鴎外 「サフラン」
・・・ 彼女は貸した安次の着ている蒲団を一寸見た。そして彼が死んでからまだ役に立つかどうかと考えたが、彼女の気持が良ければ良いだけ、安次を世話した自分の徳が、死んだ良人の「あの世の苦しさ」まで滅ぼすように思われてありがたくなって来た。彼女は入・・・ 横光利一 「南北」
・・・それは当人の罪であるばかりでなく、また傍にいて救いの手を貸してやらない者も、責めを負わねばなりません。 ここに私は困難な、そうして興味ある問題を見いだします。なぜなら、青春期に我々の内に萌えいでた芽は、その滋養を要する点で一々異なってい・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫