・・・歌に景曲は見様体に属すと定家卿もの給うなり。寂蓮の急雨定頼卿の宇治の網代木これ見様体の歌なり。とあり。景気といい景曲といい見様体という、皆わが謂うところの客観的なり。もって芭蕉が客観的叙述を難しとしたること見るべし。木導の句悪句には・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ただ一なるまことの神はいまし給う、それから神の摂理ははかるべからずと斯うである。これに賛せざる諸君よ、諸君は尚かの中世の煩瑣哲学の残骸を以てこの明るく楽しく流動止まざる一千九百二十年代の人心に臨まんとするのであるか。今日宗教の最大要件は簡潔・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・若しわが献げられた身を神がよみし給うなら寂漠の瞬間冲る香煙の頂を美しい衛星に飾られた一つの星まで のぼらせ給え。燦らんとした天の耀きはわが 一筋の思 薄き紫の煙を徹してあわれ、わたしの心を盪かせよう ・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・と怒り給う。〔欄外に〕 新聞に天皇が多摩陵へ御出かけのときの車窓に立った憂鬱な写真を見た すると今度は自分が立って喋って居る。「私は眠れません、世界に思想がありすぎるのです、 まだ字を知らなかった時から人間はこん・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・という作品をかき、与謝野晶子が「君死に給うことなかれ」という詩をかいて戦争の惨酷に反対したことは有名です。しかしこの二つの代表的な婦人の手による戦争反対の作品は、日本の文学史に全文をのせることさえはばかられていました。与謝野晶子の詩が発表さ・・・ 宮本百合子 「戦争と婦人作家」
・・・まりあは、その稚い美感の制作である天蓋に護られ、献納の蝋燭の焔に少しばかりすすけ給うた卵形の御顔を穏かに傾け佇んで在られる。祭壇の後のステインド・グラスを透す暗紅紫色の光線はここまで及ばない。薄暗い御像の前の硝子壜に、目醒めるようなカリフォ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・その相続人たる権兵衛でみれば、死を賜うことは是非がない。武士らしく切腹仰せつけられれば異存はない。それに何事ぞ、奸盗かなんぞのように、白昼に縛首にせられた。この様子で推すれば、一族のものも安穏には差しおかれまい。たとい別に御沙汰がないにして・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・当時田辺城には松向寺殿三斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御留守遊ばされ候。景一は京都赤松殿邸にありし時、烏丸光広卿と相識に相成りおり候。これは光広卿が幽斎公・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・と申す古歌の心にて、白菊と名づけさせ給う由承候。某が買求め候香木、畏くも至尊の御賞美を被り、御当家の誉と相成り候事、存じ寄らざる仕合せと存じ、落涙候事に候。 さりながら一旦切腹と思定め候某、竊に時節を相待ちおり候ところ、御隠居松向寺殿は・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・「そんなに僕の顔ばかし見給うな。心中大いに僕を軽侮しているのだろう。好いじゃないか。君がロアで、僕がブッフォンか。ドイツ語でホオフナルと云うのだ。陛下の倡優を以て遇する所か。」 秀麿は覚えず噴き出した。「僕がそんな侮辱的な考をするものか・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫