・・・今から見れば何でもないように思うが、四十年前俳優がマダ小屋者と称されて乞食非人と同列に賤民視された頃に渠らの技芸を陛下の御眼に触れるというは重大事件で、宮内省その他の反対が尋常でなかったのは想像するに余りがある。その紛々たる群議を排して所信・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・を説明し得ない。心の深い人は到底幸福説で満足できるものではない。これはアングロ・サクソンの倫理学である。ニイチェの如きは「最大多数の最大幸福主義」を賤民の旗じるしとして軽蔑している。がそれにもかかわらず、社会的、政治的の実行上の目標は結局こ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 彼の父母は元は由緒ある武士だったのが、北条氏のため房州に謫せられ、落魄して漁民となったのだといわれているが、彼自身は「片海の石中の賤民が子」とか、「片海の海人が子也」とかいっている。ともかく彼が生まれ、育ったころには父母は漁民として「・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・電車の隅で一賤民のごとく寒さにふるえて眼玉をきょろきょろうごかしていただけのことであったのである。途中、青松園という療養院のまえをとおった。七年まえの師走、月のあかい一夜、女は死に、私は、この病院に収容された。ひとつきほど、ここで遊んで、か・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・金の無い一賤民だけが正しい。私は武装蜂起に賛成した。ギロチンの無い革命は意味が無い。 しかし、私は賤民でなかった。ギロチンにかかる役のほうであった。私は十九歳の、高等学校の生徒であった。クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・けれども、一夜、気が附いてみると、私は金持の子供どころか、着て出る着物さえ無い賤民であった。故郷からの仕送りの金も、ことし一年で切れる筈だ。既に戸籍は、分けられて在る。しかも私の生まれて育った故郷の家も、いまは不仕合わせの底にある。もはや、・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・「身のほど知らぬふざけた奴。」「神さま、これこそ夢であるように。きゃっ! この劇場には鼠がいますね。」「賤民の増長傲慢、これで充分との節度を知らぬ、いやしき性よ、ああ、あの貌、ふためと見られぬ雨蛙。」一瞬、はっし! なかば喪心の童子の鼻柱め・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・おれは、もともと賤民さ。たかだか一個の肉体を、肉体だけを、」言いかけてふっと口を噤み、それからぐっと上半身を乗り出させて、「あなたは、あの女を、どう思いますか?」「気の毒な人だと思っています。」用意していたのではないかと思われるほど、涼・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ソロモン王と賤民 私は生れたときに、一ばん出世していた。亡父は貴族院議員であった。父は牛乳で顔を洗っていた。遺児は、次第に落ちぶれた。文章を書いて金にする必要。 私はソロモン王の底知れぬ憂愁も、賤民の汚なさも、両方、知っ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫