・・・何度歩いても飽きない道を通って、赤坂裏へ出ると、青麦の畠が彼の眼に展けた。五度熟した麦の穂は復た白く光った。土塀、白壁の並び続いた荒町の裏を畠づたいに歩いて、やがて小諸の町はずれにあたる与良町の裏側へ出た。非常に大きな石が畠の間に埋まってい・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・の何千という家々をなめて、のびひろがり、夜の十二時までの間にはすべてで八十八か所の火の手が、一つになって、とうとう本所、深川、浅草、日本橋、京橋の全部と、麹町、神田、下谷のほとんど全部、本郷、小石川、赤坂、芝の一部分が、まるで影も形もなく、・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・私が東京の大学へはいって、郷里の先輩に連れられ、赤坂の料亭に行った事があるけれども、その先輩は拳闘家で、中国、満洲を永い事わたり歩き、見るからに堂々たる偉丈夫、そうしてそのひとは、座敷に坐るなり料亭の女中さんに、「酒も飲むがね、酒と一緒・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・静子夫人は、その後、赤坂のアパートに起居して、はじめは神妙に、中泉画伯のアトリエに通っていたが、やがてその老画伯をも軽蔑して、絵の勉強は、ほとんどせず、画伯のアトリエの若い研究生たちを自分のアパートに呼び集めて、その研究生たちのお世辞に酔っ・・・ 太宰治 「水仙」
・・・牛込。赤坂。ああなんでも在る。行こうと思えば、いつでも、すぐに行けるのだ。私は、奇蹟を見るような気さえした。 今では、此の蚕に食われた桑の葉のような東京市の全形を眺めても、そこに住む人、各々の生活の姿ばかりが思われる。こんな趣きの無い原・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・夕に赤坂の八百勘に往く。所謂北斗会とて陸軍省に出入する新聞記者等の会合なり。席上東京朝日新聞記者村山某、小池は愚直なりしに汝は軽薄なりと叫び、予に暴行を加う。予村山某と庭の飛石の間に倒れ、左手を傷く。 これに拠って見ると、かの「懇親会」・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・この家だって、私たち結婚してから新しく借りたのですし、あの人は、そのまえは、赤坂のアパアトにひとりぐらししていたのでございますが、きっと、わるい記憶を残したくないというお心もあり、また、私への優しい気兼ねもあったのでございましょう、以前の世・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・ 芝区内では○愛宕下の桜川また宇田川○芝橋かかりし入堀 赤坂区内では○溜池桐畠の溝渠。 本所深川区内では○御蔵橋かかりし埋堀○南北の割下水○黒江町黒江橋ありし辺の溝渠。その他。 砂町では○元〆川○境川おんぼう堀。その他。・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ わたくしはラフカヂオ・ハーンが『怪談』の中に、赤坂紀の国坂の暗夜のさま、また市ヶ谷瘤寺の墓場に藪蚊の多かった事を記した短篇のあることを忘れない。それらはいずれも東京のむかしを思起させるからである。 ○ わ・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・汚れた襟付の袷に半纏を重ねた遣手婆のようなのが一人――いずれにしても赤坂麹町あたりの電車には、あまり見掛けない人物である。 車は吾妻橋をわたって、広い新道路を、向嶋行の電車と前後して北へ曲り、源森橋をわたる。両側とも商店が並んでいるが、・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫