・・・何故男が彼女の所へ、突然足踏みもしなくなったか、――その訳が彼女には呑みこめなかった。勿論お蓮は何度となく、変り易い世間の男心に、一切の原因を見出そうとした。が、男の来なくなった前後の事情を考えると、あながちそうばかりも、思われなかった。と・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・――それは小児たちが一心不乱、目まじろぎもせずにお弁当の時を待構えて、無駄な足踏みもせぬからで。静なほど、組々の、人一人の声も澄渡って手に取るようだし、広い職員室のこの時計のカチカチなどは、居ながら小使部屋でもよく聞えるのが例の処、ト瞻めて・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ しかるに巡査は二つ三つ婦人の枕頭に足踏みして、「おいこら、起きんか、起きんか」 と沈みたる、しかも力を籠めたる声にて謂えり。 婦人はあわただしく蹶ね起きて、急に居住まいを繕いながら、「はい」と答うる歯の音も合わず、その・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・どしどし足踏みして歩く。起こされないたって寝ていられるもんでない。姉は二度起こしても省作がまだ起きないから、少しぷんとしてなお荒っぽく座敷を掃く。竈屋の方では、下女が火を焚き始めた。豆殻をたくのでパチパチパチ盛んに音がする。鶏もいつのまか降・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・いったん逐電したからにはおめおめ抱主のところへ帰れまい、同じく家へ足踏み出来ぬ柳吉と一緒に苦労する、「もう芸者を止めまっさ」との言葉に、種吉は「お前の好きなようにしたらええがな」子に甘いところを見せた。蝶子の前借は三百円足らずで、種吉はもは・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・のガラン/\が鳴ったせつな、監房という監房に足踏みと壁たゝきが湧き上がった。独房の四つの壁はムキ出しのコンクリートなので、それが殷々とこもって響き渡った。――口笛が聞える。別な方からは、大胆な歌声が起る。 俺は起き抜けに足踏みをし、壁を・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・言いながら落ちつきなく手を振り足踏みして、てんてこ舞いをしてみせた。 男爵は、まじめになり、その男のてんてこ舞いを見つめ、一種の感動を以て、「はり切っていますね。」そう不用意に言ってしまって、ひやとした。自分のそんな世俗の評語が、芸・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ さっきから、おしっこが出たくて、足踏みしているのよ。」「ちょっと待って下さい、ちょっと。一日、三千円でどうです。」 思想戦にわかに変じて金の話になった。「ごちそうが、つくの?」「いや、そこを、たすけて下さい。僕もこの頃どう・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・自分は踊りの事は何も知らないし、ましてやこんな西洋の足踏み踊りなどいったいなんのことだかちっともわけがわからない。わけがわからないくせにやっぱりおもしろいのが不思議である。 この二人の踊りは見ていてちっともあぶなげがない。手でも足でも思・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・これでもし世界じゅうの他の国が昔のままに「足踏み」をして、日本の追いつくのを待っていてくれたらさぞいいだろう。 町はずれに近く青いペンキ塗りの新築が目についた。それを主題にしたスケッチを一枚かこうと思って適当な場所を捜していると、ちゃん・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫