・・・墓地の松や生垣の中には、辛夷の花が白らんでいる、天気の好い日曜の午過ぎだった。母は小さな墓の前に来ると、これがお父さんの御墓だと教えた。が、彼はその前に立って、ちょいと御時宜をしただけだった。「それでもう好いの?」 母は水を手向けな・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・が、辛夷は似ている癖に、きっと南へ花を向けている。保吉は巻煙草に火をつけながら、木蘭の個性を祝福した。そこへ石を落したように、鶺鴒が一羽舞い下って来た。鶺鴒も彼には疎遠ではない。あの小さい尻尾を振るのは彼を案内する信号である。「こっち!・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・何時の間に花が咲いて散ったのか、天気になって見ると林の間にある山桜も、辛夷も青々とした広葉になっていた。蒸風呂のような気持ちの悪い暑さが襲って来て、畑の中の雑草は作物を乗りこえて葎のように延びた。雨のため傷められたに相異ないと、長雨のただ一・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・二本の燭はこれも一隅が映っている白い包みを左右から護って、枯れた辛夷の梢越しに、晴れやかに碧い大空でゆらめいているように見えた。〔一九二五年三月〕 宮本百合子 「祖母のために」
出典:青空文庫