・・・河合の――お父さんは御存知ないでしょう。――僕と同じ文科の学生です。河合の追悼会があったものですから、今帰ったばかりなのです。」 少将はちょいと頷いた後、濃いハヴァナの煙を吐いた。それからやっと大儀そうに、肝腎の用向きを話し始めた。・・・ 芥川竜之介 「将軍」
二葉亭四迷の全集が完結してその追悼会が故人の友人に由て開かれたについて、全集編纂者の一人としてその遺編を整理した我らは今更に感慨の念に堪えない。二葉亭が一生自ら「文人に非ず」と称したについてはその内容の意味は種々あろうが、要するに、「・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・ しかし、二七日の夜、追悼浄瑠璃大会が同じく日本橋クラブの二階広間で開かれると、お君は赤ん坊を連れて姿を見せ、校長が語った「紙治」のサワリで、ぱちぱちと音高く拍手した。手を顔の上にあげ、人眼につき、ひとびとは顔をしかめた。軽部の同僚の若・・・ 織田作之助 「雨」
・・・、石川啄木の「マカロフ提督追悼の詩」を始め戦争に際しては多くが簇出しているし、また日露戦争中、二葉亭がガルシンの「四日間」を訳出している。「四日間」の戦争の悲惨を憎悪した内容が二葉亭の当時の態度を暗示しているかもしれないが、それらは、若し次・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 追悼の文は、つくづく、むずかしいものである。一束の弔花を棺に投入して、そうしてハンケチで顔を覆って泣き崩れる姿は、これは気高いものであろうが、けれども、それはわかい女の姿であって、男が、いいとしをして、そんなことは、できない。真似られ・・・ 太宰治 「緒方氏を殺した者」
・・・親しかった人々は追悼会や遺作展覧会を開いてくれ、またいろいろの余儀ない故障のために親戚のものだれ一人片付けに行く事のできなかった遺物の処理までも遺憾なく果たしてくれた。そしてこの処理の中に一通りならぬ濃まやかな心づかいのこもっているのを感じ・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・ ケーテ・コルヴィッツの死がつたえられるとニューヨークのセント・エチェンヌ画廊で、ケーテの追悼展覧会が開かれた。そこでケーテの未発表の木版画や「五十七歳の自画像」旧作「机の上にねむる」などが陳列された。ケーテ・コルヴィッツの画業が、ナチ・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・バルザックの死に際して一八五〇年の彼の書いた追悼の文章の調子は我々の心にそのことを直截に印象づけるのである。同時代の作家たちは、次第にバルザックの文学業績の規模の大さ、主題の独特性は感じつつも、彼の時代おくれな正統王党派ぶり、貴族好み、趣味・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・永い間人気なく、しめこまれていた埃と湿気のにおう広間の一隅で、その日の午後から開かれる解放運動犠牲者追悼会のために、演壇に下げる下げビラを書いている人たちが四五人働いているかぎりだった。重吉はそこには見当らなかった。すると、階下から二人づれ・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫