・・・ 北をさすを、北から吹く、逆らう風はものともせねど、海洋の濤のみだれに、雨一しきり、どっと降れば、上下に飛かわり、翔交って、かあ、かあ。 ひょう、ひょう。かあ、かあ。 ひょう、ひょう。かあ、かあ。・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・省作は今おとよさんにどうされたって、おとよさんの意のままになるよりほか少しでも逆らうべき力がないようになってしまった。なるほど女というものは恐ろしいものだ。 おとよさんは「ありがとうございました」と小声でいうて手ぬぐいを手渡しながら、一・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・これほど明白に判り切った事をおとよが勝手我儘な私心一つで飽くまでも親の意に逆らうと思いつめてるからどうしても勘弁ができない。ただ何といってもわが子であるから仕方がなく結末がつかないばかりである。 おとよは心はどこまでも強固であれど、父に・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 緑雨の全盛期は『国会新聞』時代で、それから次第に不如意となり、わざわざ世に背き人に逆らうを売物としたので益々世間から遠ざかるようになった。元来緑雨の皮肉には憎気がなくて愛嬌があった。緑雨に冷笑されて緑雨を憎む気には決してなれなかった。・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 何れにせよ、自分の性質には思い切って人に逆らうことの出来る、ピンとしたところはないので、心では思っても行に出すことの出来ない場合が幾多もある。 ああ哀れ気の毒千万なる男よ! 母の為め妹の為めに可くないと思った下宿の件も遂には止め終・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・それほど孫にまで逆らうまいとして来た。母の思惑もさることながら、お三輪は自分で台所に出て皆のために働くことを何よりの楽みに思い、夜も遅くまで皆のために着物を縫い、時には娵や子守娘まで自分の側に坐らせて、昔をしのぶ端唄の一つも歌って聞かせなが・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・若き頃、世にも興ある驕児たりいまごろは、人喜ばす片言隻句だも言えずさながら、老猿愛らしさ一つも無し人の気に逆らうまじと黙し居れば老いぼれの敗北者よと指さされもの言えば黙れ、これ、恥を知れよと袖をひかれ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・この泥に重い靴を引きずり、この西風に逆らうだけでも頬が落ちて眼が血走る。東京はせちがらい。君は田舎が退屈だと言って来た。この頃は定めてますます肥ったろう。僕は毎日同じ帽子同じ洋服で同じ事をやりに出て同じ刻限に家に帰って食って寝る。「青春の贅・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するよ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験をわが物として自然の環境に適応するように務めるであろう。前にも述べたとおり大自然は慈母であると同時・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
出典:青空文庫