・・・或る年の『国民新聞』に文壇逸話と題した文壇の楽屋咄が毎日連載されてかなりな呼物となった事があった。蒙求風に類似の逸話を対聯したので、或る日の逸話に鴎外と私と二人を列べて、堅忍不抜精力人に絶すと同じ文句で並称した後に、但だ異なるは前者の口舌の・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・になったりしている。連載物など、前に掲載した分を読み返すか、主要人物の姓名の控えを取って置けば間違いはないのに、それをしないものだから、平気で人名を変えたりしている。それに驚くべきことだが、字引を引いたことがないという。第一字引というものを・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・まるでもぬけの殻を掴まされたような気がし、私の青春もその対局の観戦記事が連載されていた一月限りのものであったかと、がっかりした。 ところが、南禅寺でのその対局をすませていったん大阪へ引きあげた坂田は、それから一月余りのち、再び京都へ出て・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・新大阪新聞に連載されていた「ひとで」は武田さんの絶筆になってしまったが、この小説をよむと、麹町の家を焼いてからの武田さんの苦労が痛々しく判るのだ。不逞不逞しいが、泣き味噌の武田さんのすすり泣きがどこかに聴えるような小説であった。「田舎者東京・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・ 僕は読売新聞に連載をはじめてから秋声の「縮図」を読んだ。「縮図」は都新聞にのった新聞小説だが、このようなケレンのない新聞小説を読むと、僕は自分の新聞小説が情けなくなって来る。「縮図」は「あらくれ」ほどの迫力はないが、吉田栄三の芸を・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・という題の失恋小説を連載する事になって、その原稿発送やら、電報の打合せやらで、いっそう郵便局へ行く度数が頻繁になった。 れいの無筆の親と知合いになったのは、その郵便局のベンチに於いてである。 郵便局は、いつもなかなか混んでいる。私は・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・が、その新聞に連載せられていて、私は毎朝の配達をすませてから、新聞社の車夫の溜りで、文字どおり「むさぼり食う」ように読みました。私は、自分が極貧の家に生れて、しかも学歴は高等小学校を卒業したばかりで、あなたが大金持の(この言葉は、いやな言葉・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・『新作家』へは、今度書いた百枚ほどのもの連載しようと思っている。あの雑誌はいつまでも、僕を無名作家にしたがっている。『月夜の華』というのだ。下手くそにいっていたとしても、むしろ、この方を宣伝して呉れ。提灯をもつことなんて一番やさしいことなん・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・女の決闘は、この雑誌に半箇年間、連載せられ、いたずらに読者を退屈がらせた様子である。こんど、まとめて一本にしたのを機会に、感想をお書きなさい、その他の作品にも、ふれて書いてくれたら結構に思います、というのが編輯者、辻森さんの言いつけである。・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・私は新聞連載の長篇一つと、短篇小説をいくつか書いた。短篇小説には、独自の技法があるように思われる。短かければ短篇というものではない。外国でも遠くはデカメロンあたりから発して、近世では、メリメ、モオパスサン、ドオデエ、チェホフなんて、まあいろ・・・ 太宰治 「十五年間」
出典:青空文庫