・・・友だちはそれは酒精中毒からの幻覚というものだったと言ったが、僕にはその幻覚でよかったんさ。で僕は、僕という人間は、結局自分自身の亡霊相手に一生を送るほかには能のない人間だろうと、極めてしまったのだ。……お前はどう思ってるか知らんが、突然妻の・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ かつては、この地点から、多くの酒精が、持ちこまれてきた。ウオッカの製造が禁じられていた、時代である。支那人は、錻力で特別に作らせた、コルセット様の、ぴったりと人間の胴体に合う中が空洞となった容器に、酒精を満し、身肌につけて、上から服を・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・話の筋も場面も実に尋常普通の市井の出来事で、もっとも瘋癲病院の中で酒精中毒の患者の狂乱する陰惨なはずの場面もありはするがいったいに目先の変わりの少ないある意味では退屈な映画である。それだけに、そうしたものをこれだけにまとめ上げてそうしてあま・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・水臭い麦酒を日毎に浴びるより、舌を焼く酒精を半滴味わう方が手間がかからぬ。百年を十で割り、十年を百で割って、剰すところの半時に百年の苦楽を乗じたらやはり百年の生を享けたと同じ事じゃ。泰山もカメラの裏に収まり、水素も冷ゆれば液となる。終生の情・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・だが老いて既に耄碌し、その上酒精中毒にかかった頭脳は、もはや記憶への把持を失い、やつれたルンペンの肩の上で、空しく漂泊うばかりであった。遠い昔に、自分は日清戦争に行き、何かのちょっとした、ほんの詰らない手柄をした――と彼は思った。だがその手・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・若い木霊の胸は酒精で一ぱいのようになりました。そして高く叫びました。「お前は鴾という鳥かい。」 鳥は「そうさ、おれは鴾だよ。」といいながら丘の向うへかくれて見えなくなりました。若い木霊はまっしぐらに丘をかけのぼって鳥のあとを追い・・・ 宮沢賢治 「若い木霊」
出典:青空文庫