・・・通帳には旧住所の青森市何町何番地というのに棒が引かれて、新住所の北津軽郡金木町何某方というのがその傍に書き込まれていた。青森市で焼かれてこちらへ移って来たひとかも知れないと安易に推量したが、果してそれは当っていた。そうして、氏名は、 竹・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・その五所川原という町から、さらに三里はなれた金木町というところに、私の生れた家が在るのだ。五所川原駅からガソリンカアで三十分くらい津軽平野のまんなかを一直線に北上すると、その町に着くのだ。おひる頃、中畑さんと北さんと私と三人、ガソリンカアで・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・明治四十二年六月十九日、青森県北津軽郡金木町に生れた。亡父は貴族院議員、手沼源右衛門。母は高。謙蔵は、その六男たり。同町小学校を経て、大正十二年青森県立青森中学校に入学。昭和二年同校四学年修了。同年、弘前高等学校文科に入学。昭和五年同校卒業・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・青森県金木町、山形宗太。太宰治先生。末筆ながら、めでたき御越年、祈居候。」 元旦「謹賀新年。」「献春。」「あけましておめでとう。」「賀正。」「頌春献寿。」「献春。」「冠省。ただいま原稿拝受。何かのお間違いでございまし・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・私たちは、その中畑さんのお家で一休みさせてもらって、妻と園子は着換え、それから金木町の生家を訪れようという計画であった。金木町というのは、五所川原から更に津軽鉄道に依って四十分、北上したところに在るのである。 私たちは中畑さんのお家で昼・・・ 太宰治 「故郷」
・・・その時の火焔が、金木から、はっきり見えました。映写室から発火したという話でした。そうして、映画見物の小学生が十人ほど焼死しました。映写技師が罪に問われました。過失傷害致死とかいう罪名でした。子供にも、どういうわけだか、その技師の罪名と運命を・・・ 太宰治 「五所川原」
・・・そのうちに、「金木町のW」と帯封に書いてよこすようになった。金木町というのは、私の生れた町である。津軽平野のまんなかの、小さい町である。同じ町の生れゆえ、それで自社の新聞を送って下さったのだ、ということは、判明するに到ったが、やはり、どんな・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
この津軽へ来たのは、八月。それから、ひとつきほど経って、私は津軽のこの金木町から津軽鉄道で一時間ちかくかかって行き着ける五所川原という町に、酒と煙草を買いに出かけた。キンシを三十本ばかりと、清酒を一升、やっと見つけて、私は・・・ 太宰治 「雀」
・・・に出て、それから奥羽線に乗りかえて北上し、秋田を過ぎ東能代駅で下車し、そこから五能線に乗りかえ、謂わば、青森県の裏口からはいって行って五所川原駅で降りて、それからいよいよ津軽鉄道に乗りかえて生れ故郷の金木という町にたどり着くという段取りであ・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・やがて、日本は無条件降伏という事になり、私も故郷にかえり、Aの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行ったついでに、青森の本屋をのぞき、あなたの作品を捜して、そうしてあなたも罹災して生れた土地の金木町に来ているという事を、あなたの作品に依って・・・ 太宰治 「トカトントン」
出典:青空文庫