・・・これも、わたくしは入って見てもいいと思いながら講演が長たらしいのに閉口して、這入らずにしまった。エロス祭と女の首の見世物とは半歳近くつづいて、その年の秋にはなくなっていた。 ジャズ舞踊と演劇とを見せる劇場は公園の興行街には常盤座、ロック・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・四千万の愚物と天下を罵った彼も住家には閉口したと見えて、その愚物の中に当然勘定せらるべき妻君へ向けて委細を報知してその意向を確めた。細君の答に「御申越の借家は二軒共不都合もなき様被存候えば私倫敦へ上り候迄双方共御明け置願度若し又それ迄に取極・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・親が、子供のいう事を聞かぬ時は、二十四孝を引き出して子供を戒めると、子供は閉口するというような風であります。それで昔は上の方には束縛がなくて、上の下に対する束縛がある、これは能くない、親が子に対する理想はあるが子が親に対する理想はなかった。・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・近道が出来たのならば横手へ廻る必要もないから、この近道を行って見ようと思うて、左へ這入て行ったところが、昔からの街道でないのだから昼飯を食う処もないのには閉口した。路傍の茶店を一軒見つけ出して怪しい昼飯を済まして、それから奥へ進んで行く所が・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ とのさまがえるは次の室の戸を開いてその閉口したあまがえるを押し込んで、戸をぴたんとしめました。そしてにやりと笑って、又どっしりと椅子へ座りました。それから例の鉄の棒を持ち直して、二番目のあま蛙の緑青いろの頭をこつんとたたいて云いました・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・「ゆうべは閉口しちゃった、御飯の時」「ほーら! いってたの、うちでも岡本さんと。今ごろ陽ちゃんきっとまいっていてよって。少しいい気味だ、うちへ来ない罰よ」「今晩から来てよ、あの婆さんなかなか要領がいい。いざとなったら何にもしてく・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ジャーナリストたちは、規準のわからない発禁つづきに閉口して、内務省の係の人に執筆を希望しない作家、評論家の名をあげさせた。その結果十人足らずの氏名があげられたということであった。「ある回想から」という私の文章のなかで割合くわしくふれてい・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・しかしお肴が饂飩と来ては閉口する。お負にお講釈まで聞せられては溜まらない。」 主人はにやにや笑っている。「一体仏法なぞを攻撃しはじめたのは誰だろう。」「いや。説法さえ廃して貰われれば、僕も謗法はしない。だがね、君、独身生活を攻撃する・・・ 森鴎外 「独身」
・・・真紅の紅蓮が艶めかし過ぎて閉口であるように、純粋の白蓮もまた冷たすぎ堅すぎておもしろくない。やはり白色に淡紅色のかかっているような普通の蓮の花が最も蓮の花らしいのである。 こうして蓮の花の群落めぐりをやっているうちにどれほどの時間が・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・ こんなふうにして不愉快な感じがいつまでも昂じて行くとすれば、閉口するのはほかならぬ私自身であって、東京ではない。これは困ったことになったと思っていると、幸いなことに東京の春がそれを救ってくれた。樹木に対して目をふさぐような気持ちで冬を・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫