・・・生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うと屈服しないと云う事になる。自分は一言死ぬと答えた。大将は草の上に突いていた弓を向うへ抛げて、腰に釣るした棒のような剣をするりと抜きかけた。それへ風に靡いた篝火が横から吹きつけた。自分は右の手を楓の・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・擽ぐるのは御免だ。降参、降参」「もう言いませんか」「もう言わない、言わない。仲直りにお茶を一杯。湯が沸いてるなら、濃くして頼むよ」「いやなことだ」と、お梅は次の間で茶を入れ、湯呑みを盆に載せて持って来て、「憎らしいけれども、はい・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 父兄はもちろん、取引先きも得意先きも、十露盤ばかりのその相手に向い、君は旧弊の十露盤、僕は当世の筆算などと、石筆をもって横文字を記すとも、旧弊の連中、なかなかもって降参の色なくして、筆算はかえって無算視せらるるの勢なり。いわんや、その・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・敵味方相対して未だ兵を交えず、早く自から勝算なきを悟りて謹慎するがごとき、表面には官軍に向て云々の口実ありといえども、その内実は徳川政府がその幕下たる二、三の強藩に敵するの勇気なく、勝敗をも試みずして降参したるものなれば、三河武士の精神に背・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・とうとう為山君や不折君に降参した。その後は西洋画を排斥する人に逢うと癇癪に障るので大に議論を始める。終には昔為山君から教えられた通り、日本画の横顔と西洋画の横顔とを画いて「これ見給え、日本画の横顔にはこんな目が画いてある、実際 君、こんな目・・・ 正岡子規 「画」
・・・こんな主人に巻き添いなんぞ食いたくないから、みんなタオルやはんけちや、よごれたような白いようなものを、ぐるぐる腕に巻きつける。降参をするしるしなのだ。 オツベルはいよいよやっきとなって、そこらあたりをかけまわる。オツベルの犬も気が立って・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・一ヵ月もたつとさすがの伯龍が降参して、もう天へかえって呉れとたのんだが、天女の妻は「天に偽りなきものを」と約束の三ヵ月だけ伯龍のもとにとどまった。伯龍はひどい神経衰弱になった。そして天女がかえってから、伯龍は暫く女房をめとろうとしなかった、・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・女神の衣の襞がアテネの岸を洗う波とどうなったのか、至極混雑して、やがては従兄の援軍で、どうにか三分の二までやり、遂そのまま降参したことがあります。 父も父だと云ってしまえばそれきりのようですけれども、私にとっては楽しい記憶の一つとしての・・・ 宮本百合子 「写真に添えて」
・・・観えはするが科白がわからない。降参して、しまいには段々近くまで進出した。 ――電話かけて切符を届けさせることは、出来ないのか? それはしない。こんなことがあった。劇場は市じゅうとびとびだからね、いちいちそこをまわって買うのは骨なんだ・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・ 三分の一位のところで降参してしまった上に胸まで悪くして、すっかりグランパの信用を失ってしまいました。 私の健脚は平地に限るものと見えます。 一九二五年四月〔牛込区馬場下町東光館 富澤有為男宛 小石川区高田老松町五九より〕・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
出典:青空文庫