・・・――いそいでもう一方を見たら、電線は鉄道線路を越えて、再びヒンデンブルグの前髪のような黒い密林のかなたへ遠くツグミの群がとび立った。今シベリアを寂しい曠野と誰が云うことが出来よう。 エカテリンブルグ=スウェルドロフスキーを通過。モスクワ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・広く、寒く、わびしい暗やみの一町毎にぼんやり燈る十燭の街燈の上で電線が陰気にブムブムブムとうなっている。暖かで人声のあるのは、勘助の家のなかばかりだと思っていた青年団員は、怪しく思って顔を見合せた。「なんだべ? 今時分」「盗っとか?・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・道の両側の枯草が、ガサガサ気味の悪い音をたてて、電線がブーン、ブーンと綿を打つ時に出る様な音をたててうなる。 何の曲りもない一本道だけに斯うした天気の日歩くのは非常に退屈する。 いつもいつも下を見てテクテク神妙に歩く栄蔵も、はてしな・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
私とじいやとは買物に家を出た。寒い風が電線をぴゅうぴゅうと云わせて居る。厚い肩掛に頸をうずめてむく鳥のような形をしてかわいた道をまっすぐにどこまでも歩いて行く。〔九字分消去〕ずつ買った。又もと来た道を又もどると一軒の足袋屋・・・ 宮本百合子 「大きい足袋」
・・・金沢迄無事に行くことは行ったが、駅に下ると、金沢の十五連隊の兵、電線工夫等が大勢、他、救済者が、皆糧食を背負い、草鞋バキ、殺気立った有様でつめかけて居る。急行は何方につくのかときいて見ると、ブリッジを渡った彼方だと云う。A、バスケット、かん・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・ 眼をつぶって三本通って居る電線の歎く声をきき車の心棒のきしむ音をきいた。 ―――― 老車夫はまた何かつぶやいた。 そのわけのわからないつぶやきは私の心のそこのそこからおびやかされた。 ――ちゃーあん―― 私は私の車・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・アスファルトの道ばたには、半分焦げのこった電柱だの、焼け垂れたままの電線、火熱でとけて又かたまったアスファルトのひきつれなどがあった。焼トタンのうずたかい暗い道の上で、通行人は互に近づく黒い影を目じるしにしてよけあってとおっていた。「―・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・武装を調えた第三十五連隊の歩兵、大きな電線の束と道具袋を肩にかけた工夫の大群。乗客がいつもの数十倍立てこんだ上、皆な気が立った者ばかりだから、その混雑した有様は言葉につくせない。誰も自分の足許をしっかり見ているものなどはなく、又、押し押され・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・そして、満腹の雀は弛んだ電線の上で、無用な囀りを続けながらも尚おいよいよ脹れて落ちついた。「姉さん、すまんな、今お医者さんとこへ行って来たんやわ。もう来てくれやっしゃるやろ。」 暫くしてお霜はお留に呼び醒まされて彼女を見た。「ど・・・ 横光利一 「南北」
・・・そうすれば電線の下にすくんでいる矮小な樹が街路樹であると考えるような大きな見当違いをしなくても済んだであろう。欧州の都市においてはこのように小さな街路樹はただ新開の街にしか見ることができない。少しく立派な街ならば街路樹は風土相応の大木となっ・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫