・・・ ここでその新蔵の心配な筋と云うのを御話しますと、家に使っていた女中の中に、お敏と云う女があって、それが新蔵とは一年越互に思い合っていたのですが、どうした訣か去年の暮に叔母の病気を見舞いに行ったぎり、音沙汰もなくなってしまったのです。驚いた・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・それから、一週間、二週間を経ても、友人からは何の音沙汰もなかった。しかし、僕は、どんな難局に立っても、この女を女優に仕立てあげようという熱心が出ていた。 六 僕は井筒屋の風呂を貰っていたが、雨が降ったり、あまり涼しか・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・と思うと、彼の頭にも、そうした幻影が悲しいものに描かれて、彼は小さな二女ひとり伴れて帰ったきり音沙汰の無い彼の妻を、憎い女だと思わずにいられなかった。「併し、要するに、皆な自分の腑甲斐ない処から来たのだ。彼女は女だ。そしてまた、自分が嬶・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ と言って婆さんは勝手の方から来た。婆さんの孫娘がかしこまって給仕する側には、マルも居て、主人の食う方を眺めたが、時々物欲しそうな声を出したり、拝むような真似をしたりした。 音沙汰の無い、どうしているか解らないような子息のことも、大・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・三月が過ぎても、四月が過ぎても、青扇からなんの音沙汰もないのである。家の貸借に関する様様の証書も何ひとつ取りかわさず、敷金のことも勿論そのままになっていた。しかし僕は、ほかの家主みたいに、証書のことなどにうるさくかかわり合うのがいやなたちだ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・帰還したら、きっと僕のところに、その知らせの手紙が君から来るだろうと思って待っているのだが、なんの音沙汰も無い。君たち全部が元気で帰還しないうちは、僕は酒を飲んでも、まるで酔えない気持である。自分だけ生き残って、酒を飲んでいたって、ばからし・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・ うちでは炭がなくて困っている、石炭屋へハガキを出しても音沙汰なしである。きのうの朝早く外へ出てすこし行ったら炭俵を一俵ずつ両手に下げた厚司前垂の若衆がとある家の勝手口へ入った、もしや、と思って待っていたがなかなか出て来ないし、こちらに・・・ 宮本百合子 「この初冬」
出典:青空文庫