・・・ そこには、半ば貪り啄かれた兵士達の屍が散り散りに横たわっていた。顔面はさんざんに傷われて見るかげもなくなっていた。 雪は半ば解けかけていた。水が靴にしみ通ってきた。 やかましく鳴き叫びながら、空に群がっている烏は、やがて、一町・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 二人は、今まで押し怺えていた泣けそうなものが、一時に顔面に溢れて来るのをどうすることも出来なかった。……「おい、病院へ帰ろう。」 吉田が云った。「うむ。」 小村の声はめそ/\していた。それに反撥するように、吉田は、・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・その可能を、ふと眼前に、千里韋駄天、万里の飛翔、一瞬、あまりにもわが身にちかく、ひたと寄りそわれて仰天、不吉な程に大きな黒アゲハ、もしくは、なまあたたかき毛もの蝙蝠、つい鼻の先、ひらひら舞い狂い、かれ顔面蒼白、わなわなふるえて、はては失神せ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・およそ婦女子にもてざる事、わが右に出ずる者はあるまじ。顔面の大きすぎる故か。げせぬ事なり。やむなく我は堅人を装わんとす。 十、数奇好み無からんと欲するも得ざるなり。美酒を好む。濁酒も辞せず。十一、わが居宅は六畳、四畳半、三畳の三部屋・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・また最近にタイムス週刊の画報に出た、彼がキングス・カレッジで講演をしている横顔もちょっと変っている。顔面に対してかなり大きな角度をして突き出た三角形の大きな鼻が眼に付く。 アインシュタインは「芸術から受けるような精神的幸福は他の方面から・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・首だけまっ白に塗ってあごから上の顔面は黄色ないしは桃色にして、そうして両方のたぼを上向きにひっくらかえしているのが田舎少年の目には不思議に思われた。それから、五丁目あたりの東側の水菓子屋で食わせるアイスクリームが当時の自分には異常に珍しくま・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ということは涙を流して顔面の筋にある特定の収縮を起こすことであると仮定し、そうした動作に伴なう感情を「悲しい」と名づけるとすると、「泣く」と「悲しい」との間の因果関係はむしろ普通に言うのと逆になるかもしれない。「悲しいから」と言うのを「・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・その時自分はなぜか顔面が急にほてるような気がした。この少年はたぶんこの画家の名前がおかしいから笑っただけだろうが、自分はあの時どうしてあんな気がしたのだろう。こんな感じのする人はほかには少ないかもしれない。しかしよく考えてみると、自分は自分・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・をよく知っているという事は、単に音響だけの記憶を意味するのではなくて、話す人の顔面筋肉のあらゆる微細な運動の視像と一つ一つの言語と結び付いたものの綜合的記憶を意味するのであろう。少なくも盲目でない普通の人にとってはそうである。それでラジオで・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・にかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、あた・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
出典:青空文庫