・・・敏捷な眼はすぐ美しい着物の色を求めたが、あいにくそれにはかれの願いを満足させるようなものは乗っておらなかった。けれど電車に乗ったということだけで心が落ちついて、これからが――家に帰るまでが、自分の極楽境のように、気がゆったりとなる。路側のさ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・門外漢の妄語として御聞き捨てを願います。 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
・・・などと一度も考えたことがないように、こっちが清らかでさえあれば、願いが通じるような気がする――。「ときにな――」 竹くずのなかにうずまって、母親は母親でさっきから考えていたらしく、きせるたばこを一服つけながら、いった。「こないだ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・急に御願いがあるんですが。」 帽子をかくしたのは友達がわたしの家へ馬をつれて来たので、わたしは家人の手前を憚り、取るものも取り敢ず救を求めに来た如く見せかけようとしたのである。 事は直に成った。二人は意気揚々として九段坂を下り車を北・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・心理学の講筵でもないのにむずかしい事を申上げるのもいかがと存じますが、必要の個所だけをごく簡易に述べて再び本題に戻るつもりでありますから、しばらく御辛抱を願います。我々の心は絶間なく動いている。あなた方は今私の講演を聴いておいでになる、私は・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・不便と御推もじ願い上げまいらせ候。平田さんに済み申さず候。西宮さんにも済み申さず候。お前さまにも済みませぬ。されど私こと誠の心は写真にて御推もじ下されたくくれぐれもねんじ上げまいらせ候。平田さんにも西宮さんにも今一度御目にかかりたく、これの・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ ある人云く、父母の至情、誰かその子の上達を好まざる者あらんや、その人物たらんを欲し、その学者たらんを願い、終に事実において然らざるは、父母のこれを欲せざるにあらず、他に千種万状の事情ありて、これに妨げらるればなり、故に子を教育するの一・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・済みませんが、も一つお願いがございます。御親切ついでに、どうぞあなたの方からお尋なすって下さいまし。あなたのお住いへ伺うことは憚りますのですから。わたくしはただいまから頼んでおいて Rue Romaine 十八番地に落ち着きますことにいたし・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・、そこで直様善光寺へ駈けつけて、段々今までの罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下でお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀様が犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝が願い叶え得さすべし、信心怠りなく勤めよ、・・・ 正岡子規 「犬」
・・・(ここではあらゆる望みがみんな浄められている。願いの数はみな寂められている。重力は互に打ち消され冷たいまるめろの匂いが浮動するばかりだ。だからあの天衣の紐も波立たずまた鉛直に垂 けれどもそのとき空は天河石からあやしい葡萄瑪瑙の板に変・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
出典:青空文庫