・・・ 子供、……七歳の長女も、ことしの春に生れた次女も、少し風邪をひき易いけれども、まずまあ人並。しかし、四歳の長男は、痩せこけていて、まだ立てない。言葉は、アアとかダアとか言うきりで一語も話せず、また人の言葉を聞きわける事も出来ない。這っ・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・ たとえば野獣も盗賊もない国で、安心して野天や明け放しの家で寝ると、風邪を引いて腹をこわすかもしれない。○を押さえると△があばれだす。天然の設計による平衡を乱す前には、よほどよく考えてかからないと危険なものである。・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・湯に入り過ぎたためにからだが変になって、湯から出ると寒気がするので、湯に入っては蒲団に潜ってレーリーを読み、また湯に入っては蒲団を冠ってレーリーを読んだ。風邪を引いた代りにレーリーがずいぶん骨身にしみて後日の役に立った。 楽しみに学問を・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・忠義一図の御飯焚お悦は、お家に不吉のある兆と信じて夜明に井戸の水を浴びて、不動様を念じた為めに風邪を引いた。田崎が事の次第を聞付けて父に密告したので、お悦は可哀そうに、馬鹿をするにも程があるとて、厳しいお小言を頂戴した始末。私の乳母は母上と・・・ 永井荷風 「狐」
・・・時々頭が痛むといっては顳へ即功紙を張っているものの今では滅多に風邪を引くこともない。突然お腹へ差込みが来るなどと大騒ぎをするかと思うと、納豆にお茶漬を三杯もかき込んで平然としている。お参りに出かける外、芝居へも寄席へも一向に行きたがらない。・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・「ところへもって来て僕の未来の細君が風邪を引いたんだね。ちょうど婆さんの御誂え通りに事件が輻輳したからたまらない」「それでも宇野の御嬢さんはまだ四谷にいるんだから心配せんでもよさそうなものだ」「それを心配するから迷信婆々さ、あな・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・下女が風邪でも引いてまちがえて入れたんだ。」 二人は扉をあけて中にはいりました。 扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。 もうこれだけです。どうかからだ・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・「さあ参りましょう。」助手が又、一つピシッと豚をやる。 豚は仕方なく外に出る。寒さがぞくぞくからだに浸みる。豚はとうとうくしゃみをする。「風邪を引きますぜ、こいつは。」小使が眼を大きくして云った。「いいだろうさ。腐りがたくて・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・ その例は小説の初めに、風邪をひいてしょげた亀のチャーリーの心持とその次の不自然な、非現実的飛躍に現れている。しょげたチャーリーは平凡らしく、金もたまらず、妻も子も持てずに働きつづけ、今や体が弱って髪の白くなったのを「これが日本人労働者・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・第一に手がかじかんで、私のこの一ヵ月継続中の風邪のもとは、つい炭が途切れかかったときの記念です。 それにつれて、昔芥川龍之介の書いていた支那游記のなかのことを思い出します。或る支那の文人に会いに行ったら、紫檀の高い椅子卓子、聯が懸けられ・・・ 宮本百合子 「裏毛皮は無し」
出典:青空文庫