・・・その話によると、K先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を這わせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから、富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、さてこういう説明をしたそうである。「孔子の教えでは・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ハンディキャップの数で等級別に並べてあるそうだが、やはり上手な人の数が少なくて、上手でない人の数が多いから不思議である。黒板に競技の得点表のようなものが書いてある。一等から十等まで賞が出ている。これなら楽しみが多いことであろう。賞品は次の日・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・それからまた黒板に文字や絵をかいたりして説明する必要のある講義でも、もし蓄音機と活動写真との連結が早晩もう少し完成すれば、それで代理をさせれば教師は宅で寝ているかあるいは研究室で勉強していてもいい事になりはしまいか、それでも結構なようでもあ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・そうかと思うと、文中の一節に関して、いろいろのクォーテーションを黒板へ書くこともあった。試験の時に、かつて先生の引用したホーマーの詩句の数節を暗唱していたのをそっくり答案に書いて、大いに得意になったこともあった。 教場へはいると、まずチ・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・これを這入って黒板塀と竹藪の狭い間を二十間ばかり行くと左側に正岡常規とかなり新しい門札がある。黒い冠木門の両開き戸をあけるとすぐ玄関で案内を乞うと右脇にある台所で何かしていた老母らしきが出て来た。姓名を告げて漱石師より予て紹介のあった筈であ・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・ これはずっと後のことであるが、ここへ通いながら纏めた小さな仕事を気象のコロキウムで話すように教授から命ぜられたとき、言葉が下手だからと云って断ったが、自分がすけてやるからぜひやれと云われ、仕方なしに黒板の前に立たされた。その時の苦しみは忘・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・ ひとりこの抜き書きのみにとどまらず、自分は教師がよく黒板へ図解して示す絵図なども、そのまま直接教科書に書き入れておいた。これは記憶する上に便なるばかりでなく、事がらは忘れていても、その絵を思い出すと、容易に記憶を呼び起こすことができ、・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・杉の茂りの後は忍返しをつけた黒板塀で、外なる一方は人通のない金剛寺坂上の往来、一方はその中取払いになって呉れればと、父が絶えず憎んで居る貧民窟である。もともと分れ分れの小屋敷を一つに買占めた事とて、今では同じ構内にはなって居るが、古井戸のあ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・池かと思うほど静止した堀割の水は河岸通に続く格子戸づくりの二階家から、正面に見える古風な忍返をつけた黒板塀の影までをはっきり映している。丁度汐時であろう。泊っている荷舟の苫屋根が往来よりも高く持上って、物を煮る青い煙が風のない空中へと真直に・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きも・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
出典:青空文庫