・・・たとい君は同じ屏風の、犬を曳いた甲比丹や、日傘をさしかけた黒ん坊の子供と、忘却の眠に沈んでいても、新たに水平へ現れた、我々の黒船の石火矢の音は、必ず古めかしい君等の夢を破る時があるに違いない。それまでは、――さようなら。パアドレ・オルガンテ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・年代にすると、黒船が浦賀の港を擾がせた嘉永の末年にでも当りますか――その母親の弟になる、茂作と云う八ツばかりの男の子が、重い痲疹に罹りました。稲見の母親はお栄と云って、二三年前の疫病に父母共世を去って以来、この茂作と姉弟二人、もう七十を越し・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・ 赤児はお光と名づけ、もう乳ばなれするころだったゆえ、乳母の心配もいらず、自分の手一つで育てて四つになった夏、ちょうど江戸の黒船さわぎのなかで登勢は千代を生んだ。千代が生まれるとお光は継子だ。奉公人たちはひそかに残酷めいた期待をもったが・・・ 織田作之助 「螢」
・・・だから日本歴史全部のうちで尤も先生の心を刺戟したものは、日本人がどうして西洋と接触し始めて、またその影響がどう働らいて、黒船着後に至って全局面の劇変を引き起したかという点にあったものと見える。それを一通り調べてもまだ足らぬ所があるので、やは・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・封建的な日本の気持では、世界の座の順位で一等国になったということを、素朴にいわゆる国民の誇りと感じた。黒船が来て、井伊直弼が暗殺されて、開港した後進国の日本が、ヨーロッパ資本主義列強に伍してアジアで唯一の一等国になったということは、どんなに・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・遂に黒船に脅かされ最後の崩壊の兆を示した。日本の歴史を見て、深い驚きにうたれることは、ヨーロッパにおいて人文復興のルネッサンスが起り、近代に向う豊富な社会生活と文化とが発生しはじめた丁度その頃に、徳川の完全な鎖国政策がはじまったことである。・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫