・・・そうして枯草の間に竜胆の青い花が夢見顔に咲いているのを見た時に、しみじみあの I have nothing to do with thee という悲しい言が思い出された。 巫女 年をとった巫女が白い衣に緋の袴をはいて・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・ 別に不思議はない、“Man descends into the Vale of years.”『人は歳月の谷間へと下る』という一句が『エキスカルション』第九編中にあって自分はこれに太く青い線を引いてるではないか。どうせ・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・しかし特殊の題目について重なる学術国の重なる研究者の研究の結果を up to date に調べ上げて、その題目に対する既得知識の終点を究める事は可能である。これを究めてどこまでが分っているかという境界線を究め、しかる後その境界線以外に一歩を・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・ktos に通じ、「けだもの」、「気疎い」にも縁がなくはない。 話は変わるが二三日前若い人たちと夕食をくったとき「スキ焼き」の語原だと言って某新聞に載っていた記事が話題にのぼった。維新前牛肉など食うのは禁物であるからこっそり畑へ出て・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・ある外国の新聞に今回の地震の地震計記象を掲げた下に Japanese Earthquake reduced to line. と題してあるのを面白いと思って見たが、実際計測的研究者にとっては研究の対象は地震よりはむしろ「線に直した地震」であ・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・rn on August 17, 1874, In Husa of Tiba Prefecture, a sunny and peaceful riverside town of the Great Ton, within forty ki・・・ 寺田寅彦 「PROFESSOR TAKEMATU OKADA」
・・・ematu Okada was born on August 17, 1874, In Husa of Tiba Prefecture, a sunny and peaceful riverside town of the Great To・・・ 寺田寅彦 「PROFESSOR TAKEMATU OKADA」
・・・ この叢書の表紙の裏を見ると“Everyman, I will go with thee and be thy guide in thy most need to go by thy side.”という文句がしるされてある。この言葉は今・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・ 一八五二年すなわち十歳のとき学校へ入るために Eton に行ったが、疱瘡に罹りまた百日咳に煩わされたりした。それで Wimbledon Common にあった George Murray という人の私塾のような学校に入って、そこで代数・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・s the head that wears a crown. Kings frequently lamented the miserable consequences of being born to great things, and・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫