出典:青空文庫
・・・ 私は親鸞や日蓮と一しょに、沙羅双樹の花の陰も歩いています。彼等が随喜渇仰した仏は、円光のある黒人ではありません。優しい威厳に充ち満ちた上宮太子などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・おありがたや親鸞様も、おありがたや蓮如様も、それ、この杖に蓮華の花が咲いたように、光って輝いて並んでじゃ。さあ、見さっしゃれ、拝まっさしゃれ。なま、なま、なま、なま、なま。」「そんなものは見とうない。」 と、ツト杖を向うへ刎ねた。・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・村田実君は青山杉作君の親鸞に唯円を勤めて、自分が監督して京都でやった。後帝劇で舞台協会の山田、森、佐々木君等がはなばなしくやった。今の岡田嘉子がかえでをやった。夏川静枝も処女出演した。 上演は入りは超満員だったが、芝居そのものは、どうも・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・と出てくる。目は英知に輝き、心気は澄んでくる。いろいろな欲望や、悩みや、争いはありながらも、それに即して、直ちに静かさがあるのである。これを「至徳の風静かに衆禍の波転ず」と親鸞はいった。「生死即涅槃」といって、これが大涅槃である。涅槃に達し・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・お寺は、浄土真宗である。親鸞上人のひらいた宗派である。私たちも幼時から、イヤになるくらいお寺まいりをさせられた。お経も覚えさせられた。 × 私の家系には、ひとりの思想家もいない。ひとりの学者もいない。ひとりの芸術家も・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・静かな田舎で地味な教師をして、トルストイやドストエフスキーやロマン・ローランを読んだりセザンヌや親鸞の研究をしたり、生徒に化学などを授けると同時に図画を教えたり、時には知人の肖像をかいてやったりするような生活は、おそらく亮が昔から望んでいた・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・これはまあ思想上の大革命でしょう。親鸞上人に初めから非常な思想があり、非常な力があり、非常な強い根柢のある思想を持たなければ、あれほどの大改革は出来ない。言葉を換えて言えば親鸞は非常なインデペンデントの人といわなければならぬ。あれだけのこと・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・『歎異抄』の中に上人が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」といわれたのがその極意を示したものであろう。終りに宗祖その人の人格について見ても、かの日蓮上人が意気冲天、他宗を罵倒し、北条氏を目して、小島の主らが・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・たとへば日蓮は日蓮の個性に於て、親鸞は親鸞の個性に於て、同じ一人の釈迦を別々に解釈し――ああいかに彼等の解釈がちがつてゐたか。――そして私らは私らの個性に於て、私ら自身の趣味にふさはしいところのゲーテやシヨパンを、各自に別々に理解するまでの・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・自分は阿弥陀仏の化身親鸞僧正によって啓示されたる本願寺派の信徒である。則ち私は一仏教徒として我が同朋たるビジテリアンの仏教徒諸氏に一語を寄せたい。この世界は苦である、この世界に行わるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」