出典:青空文庫
・・・ 孔子曰く、自らなして直くんば千万人と雖も我往かんと。此意気精神、唯一文士ゾーラに見て堂々たる軍人に見ざるは何ぞや。 或は曰く、長上に抗するは軍人の為す可らざる事、且つ為すを得ざるの事也。ドレフュー事件の際に於ける仏国軍人の盲従は、・・・ 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・而して『書經』『禮記』は五行分子多く、孔子の説は道徳的分子に富みたり。 而してかの陰陽思想は延いてわが國に及び、神代史の構成に影響すること大なりき。〔明治四十五年二月二十二日、漢學研究會の講演、明治四十五年四月『東亞研究』第二卷第四・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・「おれは、ことし三十になる。孔子は、三十にして立つ、と言ったが、おれは、立つどころでは無い。倒れそうになった。生き甲斐を、身にしみて感じることが無くなった。強いて言えば、おれは、めしを食うとき以外は、生きていないのである。ここに言う『め・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・なかなか腹ができて居られるのだそうだが、それだけ、文学から遠いのだ。孔子曰く、「君子は人をたのしませても、おのれを売らぬ。小人はおのれを売っても、なおかつ、人をたのしませることができない。」文学のおかしさは、この小人のかなしさにちがいないの・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない。芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。そういう別の世界の存在は・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
一 電車で老子に会った話 中学で孔子や孟子のことは飽きるほど教わったが、老子のことはちっとも教わらなかった。ただ自分等より一年前のクラスで、K先生という、少し風変り、というよりも奇行を以て有名な漢学者に教・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・しかしどちらを信ずるかでその科学者の科学観はだいぶちがう。孔子と老子のちがいくらいにはちがいそうである。 四 新しいもの好きの学者があるとする。新しいおもちゃを貰った子供が古い方を掃溜に投込んでしまうように、・・・ 寺田寅彦 「スパーク」
・・・諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。孔子は孝について何といったか。色難。有事弟子服其労、有酒食先生饌、曾以是為孝乎。行儀の好いのが孝ではない。また曰うた、今之孝者是謂能養、至犬馬皆能有養、不敬何以別乎。体ばかり大事にするが孝で・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・玄関から縁側まで古本が高く積んであったのと、床の間に高さ二尺ばかりの孔子の坐像と、また外に二つばかり同じような木像が置かれてあった事を、わたくしは今でも忘れずにおぼえている。 わたくしは裳川先生が講詩の席で、始めて亡友井上唖々君を知った・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・桜さく三味線の国は同じ専制国でありながら支那や土耳古のように金と力がない故万代不易の宏大なる建築も出来ず、荒凉たる沙漠や原野がないために、孔子、釈迦、基督などの考え出したような宗教も哲学もなく、また同じ暖い海はありながらどういう訳か希臘のよ・・・ 永井荷風 「妾宅」