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・・・蘇莫者の事は六波羅密経に詳しく書いてある。聖徳太子が四十三歳の時に信貴山で洞簫を吹いていたら、山神が感に堪えなくなって出現して舞うた、その姿によってこの舞を作って伶人に舞わしめたとある。 始めに、たぶん聖徳太子を代表しているらしい衣冠の・・・
寺田寅彦
「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
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・・・運動場は代々木の練兵場ほど広くて、一方は県社○○○神社に続いており、一方は聖徳太子の建立にかかるといわれる国分寺に続いていた。そしてまた一方は湖になっていて毎年一人ずつ、その中学の生徒が溺死するならわしになっていた。 その湖の岸の北側に・・・
葉山嘉樹
「死屍を食う男」