うえすぎ‐ぜんしゅう【上杉禅秀】
[?〜1417]室町前期の武将。関東管領。本名、氏憲(うじのり)。禅秀は法名。応永23年(1416)鎌倉公方(くぼう)足利持氏(あしかがもちうじ)にそむき、敗れて自殺(上杉禅秀の乱)。
うえすぎ‐のりあき【上杉憲顕】
[1306〜1368]南北朝時代の武将。関東管領、伊豆・上野・越後守護。山内上杉氏の祖。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で足利直義に与して高師冬(こうのもろふゆ)を亡ぼすが、足利尊氏と戦って...
うえすぎ‐のりざね【上杉憲実】
[1410〜1466]室町中期の武将。関東管領。将軍足利義教(あしかがよしのり)と鎌倉公方足利持氏の調停に努力したが、持氏と不和となった。永享の乱で持氏が死んだのち伊豆の国清寺で出家、諸国を行脚...
うえすぎ‐のりまさ【上杉憲政】
[?〜1579]戦国時代の武将。関東管領。北条氏康に攻められて長尾景虎(上杉謙信)を頼り、上杉の姓と関東管領職を景虎に譲った。
うきた‐ひでいえ【宇喜多秀家】
[1573〜1655]安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に仕え、四国・九州・小田原征討で軍功をあげ、文禄・慶長の役に参戦、五大老の一人となった。関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島に流されて没した。
うすい‐さだみつ【碓井貞光】
[955〜1021]平安中期の武将。源頼光の四天王の一人。
うつのみや‐よりつな【宇都宮頼綱】
[1172〜1259] 鎌倉前期の武将・歌人。妻は北条時政の娘。謀反の嫌疑を受けて出家し、蓮生(れんしょう)と号す。出家後は京都に住み藤原定家と親交、宇都宮歌壇の礎を築く。
うら‐かた【裏方】
1 芝居で、舞台の裏側で働く人。大道具・小道具・衣装・音響・照明などの係、伝統芸能での囃子方(はやしかた)など。→表方(おもてかた) 2 表立たず、陰で実質的な仕事を引き受け、すすめる人。「大会...
うりゅう‐たもつ【瓜生保】
[?〜1337]南北朝時代の武将。越前の人。初め新田義貞に従い、のち足利尊氏(あしかがたかうじ)方に味方し、弟たちが義貞の甥(おい)の脇屋義治(わきやよしはる)を奉じて挙兵するとこれに参加。金崎...
えい‐せい【衛青】
[?〜前106]中国、前漢の武将。字(あざな)は仲卿。諡(おくりな)は烈侯。霍去病(かくきょへい)の叔父。武帝に重用され、匈奴(きょうど)の討伐に功を立て、大司馬(だいしば)の地位を得た。