出典:gooニュース
【ドキッとする王朝裏面史】兄弟で王位を争った末に弟が即位できた実例はあったのか
朝鮮王朝における国王の息子たちの王位争いは、まるで運命の深淵をのぞくような激しい戦いだった。それほど熾烈な闘争の中で、兄への毒殺疑惑という暗い影を背負いながらも、国王の座に登り詰めた者が2人存在する。 1人目は、17代王・孝宗(ヒョジョン)である。彼の父・仁祖(インジョ)は、中国大陸の清に容赦なく攻められ、1637年に屈辱的な降伏を強いられた。その際、清の皇帝に対して頭を地面にこすりつけて
【ドキッとする王朝裏面史】ビックリ仰天の法律を作った粛宗は強烈な「策士」
朝鮮王朝の国王の中で、巧みな戦略家という側面を強く持っていたのが、19代王の粛宗(スクチョン)である。彼は名君と言えるほど政治的な業績をあげているが、その一方で女性問題によって度々騒動を起こしている。その末に、側室から王妃に昇格できないようにする法律まで作った。 実は、粛宗以前の国王の統治時代、側室から王妃にのぼりつめた女性が何人もいた。しかし、粛宗はそんな側室の夢を壊してしまった
【ドキッとする王朝裏面史】王妃になれなかった世子嬪はどのように巻き返したのか
朝鮮王朝で皇太子にあたる世子(セジャ)は、10歳前後で結婚するのが通例だった。妻は世子嬪(セジャビン)と呼ばれるが、夫婦の年齢はほぼ一緒だった。 世子嬪はいずれ王妃になる身分なのだが、夫が不幸に見舞われたら、世子嬪も辛い人生が待っていた。そんな事態になってしまった世子嬪の双璧と言えば誰であろうか。 1人目は恵慶宮(ヘギョングン)である。 彼女は、21代王・英祖
もっと調べる