出典:gooニュース
【戦後日本の裏面史】公職追放解除で何が動いた?…眠っていた鳩山一郎、河野一郎ほか「大物」たちの暗躍と新時代の胎動
ホテルオークラの創業者一族である大倉家の興亡を通して紐解く、激動の昭和史。――終戦から6年、焼け野原からの復興を目指す日本で、GHQによる公職追放の解除が発表された1951年(昭和26年)。それは、政界の鳩山一郎、河野一郎ら、戦前日本の中心にいた大物たちが再び表舞台へと動き出す狼煙だった。この日、公職追放を解かれた一人に、大倉喜七郎がいた。戦前、巨大財閥を築き上げた大倉家の御曹司であり、帝国ホテル
【ドキッとする王朝裏面史】イ・サンを無能と決めつけた「失礼な親族」とは誰なのか
朝鮮王朝の22代王・正祖(チョンジョ)は名君として有名だが、時代劇『赤い袖先』では本名のイ・サンとして登場し、ジュノ(2PM)が演じていた。実際の歴史では、イ・サンの政敵だったのが、最大派閥の老論派(ノロンパ)である。その闘いが熾烈だった。 当時を振り返ると、父の思悼(サド)世子が「米びつ餓死事件」で世を去ったあと、イ・サンは世孫(セソン/国王の後継者となる孫)となった。しかし
【ドキッとする王朝裏面史】名君イ・サンが強い精神力を鍛えられた理由
名作『赤い袖先』の主人公は後に朝鮮王朝22代王・正祖(チョンジョ)になるイ・サンだ。彼の政敵だったのが、最大派閥の老論派(ノロンパ)だった。 この老論派は、イ・サンの父である思悼世子(サドセジャ)を死に至らしめた張本人といえる存在である。彼らは、イ・サンが21代王・英祖(ヨンジョ)の後を継ぐことを、何があっても阻止せねばならぬと考えていた。 というのも、イ・サンは、
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