ひらぐし‐でんちゅう【平櫛田中】
[1872〜1979]彫刻家。岡山の生まれ。本名、倬太郎(たくたろう)。高村光雲に師事し、日本美術院の再興に参加。写実的な作風で、彩色木彫が多い。文化勲章受章。作「鏡獅子」など。
ひらさわ‐ていじろう【平沢貞二郎】
[1904〜1991]実業家・詩人。昭和26年(1951)、現代詩人会(現、日本現代詩人会)に基金を提供してH氏賞を創設。匿名を望んだため、賞の名称には平沢(Hirasawa)の頭文字が使われた。
ひらた‐あつたね【平田篤胤】
[1776〜1843]江戸後期の国学者。国学の四大人の一。秋田藩士。旧姓、大和田。号、気吹之舎(いぶきのや)・真菅屋。通称、大角(大壑)。脱藩して本居宣長没後の門人と自称。宣長の古道精神を拡大強...
ひらた‐かねたね【平田銕胤】
[1799〜1880]幕末・明治初期の国学者・神道家。伊予の人。旧名、碧川篤実。平田篤胤の門人で、のち養子。維新後、侍講・大教正などを歴任。養父の学を祖述、整理補修した。著「祝詞正訓」。
ひらた‐とうすけ【平田東助】
[1849〜1925]政治家。山形の生まれ。山県有朋系の有力官僚として、貴族院議員・法制局長官・枢密顧問官・農商務相・内相などを歴任。特に産業組合法の制定、同組合の育成に尽力。
ひらた‐とくぼく【平田禿木】
[1873〜1943]英文学者・随筆家。東京の生まれ。東京高師卒。本名、喜一郎。「文学界」創刊に参加。サッカレーの「虚栄の市」など英米文学の名訳で知られる。著作に「英文学印象記」「禿木随筆」など。
ひらた‐ゆきえ【平田靫負】
[1704〜1755]江戸中期の薩摩藩の家老。宝暦3年(1753)藩が幕府から命じられた木曽・長良・揖斐(いび)三川分流工事の総奉行となり、1年3か月で完成させたが、莫大な出費と多大な犠牲者を出...
ひらつか‐らいちょう【平塚らいてう】
[1886〜1971]評論家・婦人運動家。東京の生まれ。本名、明(はる)。明治44年(1911)、女性文芸誌「青鞜」を発刊。のち、市川房枝・奥むめおらと、女性の地位向上を目ざす新婦人協会を結成し...
ひらて‐まさひで【平手政秀】
[1492〜1553]戦国時代の武将。織田信秀の家老で、信秀の子信長の補佐役を命じられた。信秀没後、信長の振る舞いをいさめるために自刃、信長は政秀寺を建立して冥福を祈った。
ひらぬま‐きいちろう【平沼騏一郎】
[1867〜1952]政治家。岡山の生まれ。検事総長・大審院長・法相・貴族院議員・枢密顧問官を経て、昭和14年(1939)首相に就任。その間、国家主義団体「国本社」を主宰。第二次大戦後、A級戦犯...