ふじわら‐の‐しょうし【藤原彰子】
⇒上東門院(じょうとうもんいん)
ふじわら‐の‐すけまさ【藤原佐理】
[944〜998]平安中期の公卿・書家。名は「さり」とも。実頼の孫。三蹟の一人で、その筆跡を佐跡という。遺墨「詩懐紙」「恩命帖」「離洛帖」など。
ふじわら‐の‐すみとも【藤原純友】
[?〜941]平安中期の貴族。伊予掾(じょう)となって下向。瀬戸内海の海賊と結んで反乱を起こしたが、敗れて殺された。→承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱
ふじわら‐の‐たかいえ【藤原隆家】
[979〜1044]平安中期の公卿。道隆の四男。叔父道長との政権争いに敗れて失脚、のちに許され、大宰権帥(だざいのごんのそち)に赴任。寛仁3年(1019)外敵の刀伊(とい)を撃退して武勇の名をあげた。
ふじわら‐の‐たかのぶ【藤原隆信】
[1142〜1205]平安末期・鎌倉初期の宮廷画家・歌人。法名、戒心。定家の異父兄。似絵(にせえ)の先駆者で、神護寺所蔵の源頼朝像・平重盛像の作者と伝えられる。家集「隆信朝臣集」。
ふじわら‐の‐たかよし【藤原隆能】
平安後期の宮廷画家。鳥羽金剛心院の扉絵や鳥羽上皇の肖像、蒔絵(まきえ)の下図など幅広く活躍。「源氏物語絵巻」の作者と伝えられる。生没年未詳。
ふじわら‐の‐ただざね【藤原忠実】
[1079〜1162]平安後期の公卿。摂政・関白。二男の頼長を推して長男忠通と対立、保元の乱の一因ともなった。頼長の敗死後、知足院に籠居。日記「殿暦(でんりゃく)」がある。
ふじわら‐の‐ただひら【藤原忠平】
[880〜949]平安中期の公卿。基経の子。諡号(しごう)、貞信公。兄時平の死後、摂政、のちに太政大臣・関白となる。時平の遺業「延喜格式」を完成。日記「貞信公記」がある。
ふじわら‐の‐ただふみ【藤原忠文】
[873〜947]平安中期の公卿。民部卿。平将門の乱では征東大将軍、藤原純友の乱では征西大将軍に任ぜられたが、その功に恩賞が与えられなかったのは藤原実頼の反対のためと恨み、死後も実頼の子女に祟(...
ふじわら‐の‐ただみち【藤原忠通】
[1097〜1164]平安後期の公卿。忠実の長男。別称、法性寺殿(ほっしょじどの)。摂政・関白。美福門院と結んで父および弟頼長と対立し、保元の乱の原因となった。書にすぐれて、法性寺流の開祖。漢詩...