たい‐きとう【戴季陶】
[1891〜1949]中国の政治家。四川省の生まれ。名は伝賢。号は天仇。日本に留学後、革命運動に入り、孫文の死後は国民党右派の領袖。国民政府委員・考試院長を歴任。著「日本論」など。タイ=チータオ。
たいきょう‐しょうきょう【大喬小喬】
中国三国時代、呉の喬公の二人の娘。姉の大喬は孫策の、妹の小喬は周瑜(しゅうゆ)の妻となった。ともに美貌(びぼう)で兵書を好んだといわれ、画題にされる。二喬。
たい‐ぎょう【戴顒】
[378〜441]中国、南北朝時代の宋の学者。銍(しつ)(安徽(あんき)省)の人。字(あざな)は仲若(ちゅうじゃく)。官の召請を辞し、隠者として過ごした。荘子の大旨を述べ、「逍遥(しょうよう)論...
たいこう‐ぼう【太公望】
中国、周代の政治家。姓は呂(りょ)、名は尚、字(あざな)は子牙(しが)。渭水(いすい)で釣りをしていて、周の文王に見いだされ、先君太公の望んでいた賢人だとして太公望とよばれたといわれる。文王・...
たい‐し【太子】
1 皇位を継ぐものと定められている皇子や王子。東宮(とうぐう)。ひつぎのみこ。 2 古代中国の、天子や諸侯の世継ぎ。
「聖徳太子」の略。
たいら‐の‐ただのり【平忠度】
[1144〜1184]平安末期の武将・歌人。忠盛の子。清盛の弟。薩摩守(さつまのかみ)。藤原俊成に師事して和歌をよくし、平氏西走の途中、京都に引き返して師に詠草1巻を託した話は有名。一ノ谷の戦い...
たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】
鎌倉中期の文学者。諸兄(もろえ)の末裔光季の養子といわれる。伊賀守。文学・音楽にすぐれ、建長6年(1254)「古今著聞集」を編集した。生没年未詳。
だいきゅう‐しょうねん【大休正念】
[1215〜1289]鎌倉時代の臨済宗の中国僧。大休派の祖。温州永嘉(浙江省)の人。北条時宗の招きを受けて文永6年(1269)来日し、建長寺・円覚寺などに歴住、浄智寺を開創した。仏源禅師。
だいこくや‐こうだゆう【大黒屋光太夫】
[1751〜1828]江戸中期の船頭。伊勢の人。名は幸太夫とも書く。天明2年(1782)米を江戸に回漕(かいそう)中に暴風にあい、アリューシャン列島アムチトカ島に漂着。ロシアに10年間滞留し、エ...
だいご‐てんのう【醍醐天皇】
[885〜930]第60代天皇。在位897〜930。宇多天皇の第1皇子。名は敦仁(あつぎみ)。藤原時平・菅原道真を登用し、延喜元年(901)に菅原道真が藤原時平に讒(ざん)されてからは、時平を重...